実は・・・持病を抱えています
昨年の7月31日にnoteを始めてから、今日で255日目となりました。今日まで実は1度も読者に行っていなかったことがあります。タイトルにもある通りですが、
実は・・・”持病”を抱えています
これまでなかなか述べるタイミングが無かったのですが、昨日から”第2章”を始め、ちょうど1つの区切りでもあるので、このタイミングで初めて、私がいま抱えている”持病”について告白したいと思います。
”持病”とは
その持病というのは、
「症候性てんかん」
です。一般的に言われる「てんかん(癲癇)」とは、脳内の神経細胞の過剰な興奮によって、意識障害や発作を起こす脳の病気です。「症候性てんかん」は脳出血や脳腫瘍などの脳疾患が原因となり発作を起こす病気を指します。
では、なぜこの病気を、いつから抱えることになってしまったのか、その経緯について説明したいと思います。
経緯
「症候性てんかん」なので、発症前にその原因となる脳疾患を患っていました。それは「(急性)硬膜下血腫」です。外傷などにより、脳と頭蓋骨の間にある「硬膜(こうまく)」で出血を起こし、それが「血腫(けっしゅ)」として脳内を圧迫していくことで、意識障害などの症状が現れるという病気です。
私がそれを発症したのは、いまから4年前の2017年8月中旬のことです。(今からはすべて家族から聞いた話です。本人は全く記憶がありません)旅行先の鹿児島県の駅のホームの階段で転倒した際に頭を強打し、意識不明の重体となりました(この時に脳内で出血が発生)。駅の係員がすぐに救急要請し、近くの市民病院に搬送され、緊急手術を受けました。出血を止め、それまでの血腫を取り除く手術を行ったことで、何とか一命はとりとめましたが、それでも搬送してから2,3日くらいは記憶があいまいな状態でICUで過ごしました。
そこからは半身不随や脳機能障害などの後遺症は起きることなく、奇跡的な早さで回復を遂げ、40日間の入院期間を経て、9月の下旬に退院することができました。
担当医からは「入院期間中も何も後遺症を発症することなく治療できたので本当に良かった」と言っていました。しかし同時に、「手術は開頭手術で行ったので、わずかな確率でてんかんを起こす可能性がある」とも言われました。
実は開頭手術は、後にてんかん発作を起こす可能性が普段より高くなります。それが、現在の持病の発症につながっていくのです。
てんかん発作が現れたのは、硬膜下血腫の発症から1年9か月後の2019年5月です。これも旅行先の東京で発症しました。前日22時過ぎまでお酒を飲み、宿泊先に戻って就寝したのが0時30分過ぎでした。翌日6時過ぎに起床し、6時30分に朝食会場に向かいました。会場につき、しばらくは普通に行動していたのですが、その後突然発作で意識を失ってしまいました。次に目が覚めたときには救急車の中にいて、そこからホテル近くの病院に搬送されました。CTやMRIを測った結果、「けいれん発作による意識障害」という結果となり、1日入院しました。旅行を切り上げ自宅に戻った後、硬膜下血腫の際から通っていたかかりつけの病院でその時の事情を説明し、脳波検査を行ったところ、2017年に損傷した脳の部分で反応が見られたことで、「硬膜下血腫を原因とする症候性てんかん」であることが判明しました。そこから現在まで治療および経過観察が行われています。
現在の状況と心情
現在は「症候性てんかん」の治療として、1日2回の抗てんかん薬の服用と、3ヶ月に1回の通院及び1年に1回の脳波検査(直近では来月実施)を行っています。
また、てんかん発症後、お酒は1滴も飲まずに過ごしており、睡眠も7時間以上は必ず取るように心がけ、規則正しい生活を送るようにしています。
規則正しい生活を送っていることで、幸いにも発作の再発などの症状は起きていませんが、精神的に堪える部分があるのも事実です。
鹿児島でケガするまでは、お酒も普通に飲め、夜中遅くまで起きて過ごすこともできる普通の生活ができていたのに、ケガを起こし、てんかん発作も起こした今となれば、上記のような制約がかかっている状況が今後も続くことに何とも言いきれない気持ちとなり、周囲とのハンデを感じることもあります。(飲み会でも自分はお酒には付き合えないなど)
それでも、「自分は生きている」ということを感じていれば、生きていることに感謝しながら生活することができます。
特に今年はコロナ禍が起こり、コロナについて、まだまだ未知な部分もあるため、罹患した場合一体どういうことになるのか、自分でもすごく不安になるところがあります。だからこそ、自分が生きていることの意味を十分に理解し、普段からてんかん治療とコロナ感染予防を怠っていなければ全く大丈夫です。
今回はみなさまに始めてお伝えすることばかりでした。noteを始めるまでは、家族や知人以外にこのことを共有する機会が無かったので、広く共有できてよかったです。