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サイコパスって映画の中の話じゃないのか?

「サイコパスになりうるな…」

「私もそう思いました」

放課後の職員室で、今年から組む同僚と交わした言葉。

「情緒的に訴えて諭しつつ、行動変容を中心に求めていく方がよさそうですね。」

その児童、いじめに関する話題でクラスで話し合っている最中、急に笑い出した。

「何がおもしろい?」と、聞いたら

「いえ、なんでもありません。思い出し笑いです。」と答える。

常識的に、クラスの雰囲気、このタイミングでありえない。

普段は、多少やんちゃだが大きな問題を起こすわけではない。

引き継ぎでもその程度しか聞いてない。

でも、決してよい兆候ではない。

ぱっと頭に浮かんだのが、

反社会性パーソナリティー障がいという特性である。

いわゆるサイコパスとも言われる人がもつ人間の特性のひとつ。

良心の呵責がなく、自分の快楽、利益のために犯罪行為や搾取行為等を行う。

他にもあるがこんな特徴がある。

悪いことを悪いと感じない。
人が傷ついていても何も感じない。
平気で嘘をつく。

こういう子どもがやはり小学生にもいる。

ただし、こういうタイプは、問題行動を起こし、良くも悪くも目立つため、早い段階から支援を受けやすい。

しかし、サイコパスには、向社会的という性質をもつ人間がいる。

良心の呵責はないが、社会に適応しているタイプである。何とも思ってもいないが、正しそうな行動はとれる。

一見、問題なさそうなタイプである。

別に、社会に適応できるならよいと思われるかもしれない。

しかし、「特性」は同じである。

つまり、いつ反社会的になるかわからない。

そして、目立ちにくいため、特別な支援を受けずに大人になって、社会に出ていく。

特性の強さの度合いによって違うが、

最悪の場合、どこかで豹変して事件を起こしてしまう。

小さな犯罪もあれば、大事件もあるだろう。

事件後の

「普段はまじめな人だった」とか

「あいさつをしてくれる気さくな人だった」とか

「こんなことをする人には見えなかった」とか、

全てがそうではないが、
こうした特性をもった人間の場合もあるだろう。

しかし、特性は遺伝的要因が大きいのも事実。

どうにも変えられない部分がある。本人も不幸だ。

教師が変えられるのは環境的要因の方である。

いかに社会的な行動を教えて行くか。

情緒面、心理面の発達を促せるか。

早くに気づかないと、遅ければ遅いほど、情緒や心理のアプローチは難しくなる。

これまで、見過ごされてきた児童もたくさんいるだろう。

また、家庭の問題もある。

ただし、家庭に介入できるのは、大きな事が起きない限り難しい。

「あなたのお子さんが心配です。」

なんて伝えたところで、

「ちゃんと学校生活している」

「何言ってんだ。こいつは。」

となってしまうし、いい顔されない。

保護者には、難しいことを言ってもわからない。

この児童の特性がどうであるかは、はっきりしない。ただし、気味の悪さを感じた。

どこで誰が気づき、どう支援していくか、そのことの重要性を感じ、教師の役割の大切さを改めて認識した。

今ならまだ間に合うと信じて、支援をしていきたいと思う。



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