書くことの冒険へ! 〜「かくからだ」の地図〜
書くためには何がいる?
さて、書き始めよう。そう思ったときに、何がいるのだろう。いつも、ペンで書いている人は、紙とペンがいる。しかし、紙とペンだけでも足りない。そのような「道具」の他にも、書いているあなた自身の体がいる。また、はじめに「さて書き始めよう」と思うことがなければそもそも書くことはなかったかもしれない。さらに、文章は言葉によって作られるので、書くためには「言葉」という道具も必要だ。
屁理屈を言っているように聞こえるかもしれないが、あえて「書く」という動作を成り立たせているものを並べてみた。そうすることで、書くときに何が起こっているのかを反省することができるからだ。
まず、書きはじめようという「思い」が頭の中で生まれる。それから、書くための「体」が動き出し、ペンや紙、あるいはパソコンなどの「道具」を使う。そして「言葉」によって文章を書き進める。
「思い」「道具」「体」「言葉」それらがうまく調和しながら作動することで、「書く」という動作が成立する。一口に「書く」と言っても見えてこない。また、この四つの要素に分けることで私たちは書いている間に何をしているのかを整理して考えられるようになる。
おそらく、「書く」ことについての考えは、主に「言葉」のレベルで多く語られてきたのではないか。文章術、や書き方についての話になると「文章はなるべく短く、簡潔に」だったり、「構成はわかりやすく」というアドバイスが多くある。それらは、何を書くか、つまり文章の中の「言葉」に関する知識であって「書く」ことの一部分にすぎない。
文章とは純粋な精神的な作用であって、「言葉」で書くことさえできれば、あとはどうでもよいのだろうか。私はそうは思わない。書く時の雰囲気や場所、道具、姿勢などの具体的な要素のほかに、書き続ける中で変化する時間的な軸でも「書く」ことは変化する。書けるものは変わってくる。
もちろん、今まで整理されてきた文章論は否定しない。ある目的のために、ある効果を持った文章を書く、という単純な状況であれば、そうした文章論は効果を発揮するだろう。
書くことの冒険へ!
さらにそれを含める形で、新しい「書く」ための考えを広げてゆくことはできないだろうか。それは、決まった文章を書くためのものではない。「なぜ書くのか」という根本的なところから始まって、どこまでも具体的な書く人それぞれの置かれた状況や体、道具にまでわたって「どう書くのか」を追求してゆく文章論だ。
当然、その答えは一人一人違ってくる。だから、決まった文章を生み出すもためのものではない。その人それぞれが、書くことを自分のものとして自分の文章を書くための文章論である。
そこで、書くことの要素を「思い」「道具」「体」「言葉」にわけて広く平面状に広げてゆく。それぞれの領域で「書く」ことの可能性が追及されるだろう。そうすることで、一つの定まった方法を示すのではなく、その中から読む人が自分にあったやり方を選択していくようなあり方で文章を作り出す方法を見つけることができるだろう。
マガジン「かくからだ」の大まかな地図はその四つの要素に広がってゆく。それらを、合わせて「からだ」と呼ぶ。地図であって、道ではない。決まった順番も、目的地もない。私には思いつかないようなやり方で書く人もいるかもしれない。どんな書き方も受け入れられるように、自由に書き散らかしていくつもりだ。それは、書いている私自身にとっても書くことの冒険になる。
さあ、書いていこう!
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最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!