物忘れ日記 ときどき猫とか本とか映画とか:Vol. 14 さっきまでそこにあった危機

いや、本当にびっくりした。

お弁当用に卵を茹でて、その隣りのお鍋で厚揚げを煮た。厚揚げは火を止めて煮含める。ちょっとその間、ひとやすみ。お友達とのLINEのやりとりなどを眺め、さて、そろそろお弁当をつめようかなと思ったとき、あれ?ひょっとしてゆでたまごのお鍋を火にかけっぱなし?と気が付いた。

そう。そのとおり。火にかけっぱなしだったゆでたまごのお鍋からは見事に水はなくなっていた。それでもガスコンロの安全装置のおかげで火は消えていて、お鍋と卵のカラが少し焦げただけだった。ほっとすると同時に、自分の見事な忘れっぷりに呆れた。これも物忘れというんだろうか。自分が招いた「さっきまでそこにあった危機」。事故ってこういうときに起こるのよねと反省しつつ、卵のカラも焦げるんだなと感心するオキラクおばさんなのである。


あぶなかったのにゃ~

「ゆでたまご」というと大好きな向田邦子さんのエッセイを思い出す。

向田さんが小学校のころ、クラスに足が悪く、クラスメイトや先生からも疎んじられているひとりの少女がいた。遠足の日、その少女の母親が現れ、風呂敷包みいっぱいの「ゆでたまご」を「どうぞみなさんで」と半ば押し付けるように級長だった向田さんに渡す。ずっしりと重い「ゆでたまご」に戸惑いつつも、受け取ってしまう向田さん。そして、それから「愛」という文字を見ると、そのときの「ゆでたまご」の温もりと遠足へ出かける我が子を校門で少し離れて見守っていた小さな母親の姿を思い出すと、そういうお話だったように思う。

このエッセイを読んで感動したのは、話の内容もあるけれど、読んでいて「ゆでたまご」の温もりを感じたところだった。そして、いまだに「ゆでたまご」というと、決まってこのエッセイを思い出し、本を取り出して読んでみる。

そういえば、向田さんの突然の訃報にびっくりしたのも、こんな夏の盛りだったようなと思ったら、なんと亡くなられたのは明日、8月22日のことだった。

これも何かの偶然だろうか。だとしたら、「さっきまでそこにあった危機」にも反省しつつ、感謝したいと思う。

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