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10代の悩みを90代がきく。
昨日、名古屋市千種区の西念寺さんで「はつの円坐」という場をひらいた。
円坐は丸くなって座り、あとは話しても話さなくてもいいという場だ。聞きたければ聞けばいいし、そうでなければご自由に。それ以外は、なんにもない。
そんな場にもかかわらず、この日は七名もの方が一緒に座ってくださった。
驚いたのは、その世代の幅だ。
最年少が16才で、最年長が91才。
平成15年と昭和3年、2003年と1928年生まれの組み合わせである。
なにを話すかを事前に決めない円坐では、どんな展開になるかはフタを開けてみないとわからない。
この日は、16才の悩みを大人みんなで聞く場面があった。
僕自身はそのときには「守人(もりびと)」というひたすら聞く役目に徹していたので気づかなかったが、こんな年齢差のある人生相談ってなかなかない。
80代、90代の先輩方の話は、カラッとしていて、聞いていて気持ちがよかった。
アドバイスもさることながら、特にいいなと思ったのは「自分がいかに生きづらかったか」をそれぞれが語ってくださったことだ。
だれもらくになんか生きてきていない。
そして、そこに戦時中の話がすっと挿入される。
「戦争はむごい」とある方は言った。名古屋城が空襲で崩落する場面の描写は、僕たちの目にもありありと映るかのようなリアルさだった。
自分がふだん困ったり悩んだりしていることが吹っ飛んでしまうような語りだった。
僕は祖父のことを思い出した。父方の祖父も母方の祖父もよく戦争の話をした。砲弾が降る中、物資を運んだ話だとか、熱い鉄製の皿で食事をするときの持ち方だとか。
決していい経験ではなかったはずなのに、祖父の語りは熱を帯びていた。
この日の語りもそうだった。他のどの話よりも力が入っている。
「こわいとかつらいとか言ってるヒマがなかった」
と先輩は言った。「僕たちはヒマなのかもしれない」と僕は思った。
諸先輩方を前に、僕の背筋は自然と伸びた。
いい子ぶっているわけでも、そうしろと言われたわけでもなく、自らの内側から敬意が湧くのを感じた。それに身を任せているのは、とても気持ちがよかった。
語りの中には、先輩方のお祖母様や亡くなられたご主人も出てきていたから、全部で何年分の時を行き来したことになるのだろう。たぶん100年では足りない。
豊かな時間だった。
そして、このような幅のある人たちが一堂に会することができるお寺ってすごいと思った。
はじまる前はこの看板みたいにばったりと倒れてしまうかと思ったけれど、ぜんぜんそんなことなかった。あったかくて豊かな場だった。ありがたかった。
でも、さすがに疲れていたみたいで、夕飯のとんかつを食べているうちにうとうとと眠くなってきた。ただ聞いていただけなのに、なにか、どこかの力はつかっていたらしい。
そして、こういう仕事のあとは、なぜかごはんがめちゃくちゃおいしいのであった。
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