日記 2024.3.22(金) 手放したい/手を動かす/生理前の頭の中/本が読めない日/里芋のポタージュ/銭湯へ
もこもこと未来への想像を膨らませていたらなのかなかなか眠れなかった。いや、もしかすると夕食後にチャイを飲んだせいかもしれない。今日は7時前に目が覚める。布団から出ている肩が冷える。エアコンをつけてぐぐぐと布団の中にもう一度もぐる。目が覚めてから1時間くらいは布団の中にいたい。
起き上がって顔を洗う。肌の様子はまあまあ良いかもしれない。昨日お風呂前に太白ごま油でしっかりマッサージをして久しぶりに米ぬか洗顔をしてみた。お風呂上がりにもしっかりと血色良くなるまでマッサージをしてみた。お風呂上がりの濡れた肌にオイル、化粧水、オイル、クリームの順番にたっぷりとぬっていくとなんだかしっとりふっくらとした肌になった気がして安心した。今朝もふっくら感は続いている気がする。むくみもなさそうであごのラインもスッキリしているようだ。顔色も明るい。
近ごろまた手放したい熱が高まっている。季節の変わり目だからなのだろうか。もっともっと自分の持ち物を減らして身軽に、小さくコンパクトになっていきたい。本当のお気に入りだけ持つ暮らしへの探求はまだまだ続いていく。今朝は朝ごはんも食べずに洋服を2点、フリマサイトに出品した。
手放しすぎるわたしの姿をみて、近ごろ友だちからはプレゼントをあげてもフリマサイトで売られてしまうとか、何をあげたらいいか分からないと言われるようになった。わたしはほんとうは何にも欲しくない。すこしの時間を楽しく一緒に過ごすとか、手づくりの梅干しをお裾分けしてくれるとかそういうので十分なのだ。わたしはたぶん記憶力がそんなにわるくはないので、思い出の中に残っていくものはずっとずっと心の中に持っていられる。
そば粉のスープを食べる。塩麹のマイルドな塩味で美味しい。梅醤番茶を作りながら、塩麹もいいけれど古い風味の落ちたそば粉には梅干しの塩気を足したほうが美味しそうだなと気づく。次回はそれでやってみよう。お母さんにもレシピを伝えてみる。
今日も風はやや強め。午後からは図書館へ行って早めに帰ってきて銭湯に行きたい。それまでに絵を描いておこうと机に向かう。色を選ぶとき、あんまり悩まなくなってきた。手が勝手に選んでいる、そんな時もある。変な色をのせてしまったとしても塗り重ねればそれがいい味になったりするから面白い。集中していたらあっという間に富士山の絵は完成した。手を洗う。
昼ごはんを作る。さて今日はどうしよう。考えないで手を動かしてみる。ご飯は解凍しておいたので蒸して温める。そうだついでに残っている里芋を蒸すことにしよう。夜はポタージュだな。
たわしでゴシゴシ里芋を洗い、横にぐるっと切れ目を入れる。今日はつるっと皮がむけますようにとやや長めに蒸すことを心がける。やっぱり1日1回はお味噌汁が食べたいので作っていく。大根とわかめ、厚揚げ、玉ねぎを具材にした。マイルドな味を欲して豆乳も入れてみる。味噌は麦味噌の方が合うだろうけど実家の1番色の濃い味噌を入れてみる。ご飯に長芋を小さくサイコロ状にきったものをのせて醤油麹とわさびを混ぜて乗せる。思わず味見。美味しい。ごま塩たっぷりとぬか床から大根を出して添えておく。何にも浮かばないままでもひとつ手を動かし始めるとどんどん広がる。結果嬉しい昼ごはんが出来た。
里芋は横に一周切れ目を入れておいたからなのか、蒸す時間を少し長めにしたからなのか、つるっと皮がむけた。小さな里芋が可愛い。ボウルに移して置いておく。
色の濃い味噌を入れたお味噌汁、豆乳と合わせたら丸みのある優しい味になった。麦味噌よりも合うかもしれない。豆乳が無くなりそう、ポタージュも作るし今日買って帰らなくちゃ。
お昼寝しようかと思ったけれど眠気はないのでそのまま出かけることにする。朝外に干しておいた掛け布団を取り込んで布団も敷いておく。銭湯の準備も大体整えておこう。先週はみさこの会社にお邪魔して疲れてしまって銭湯へ行かなかったのだったな。
図書館へ向かう。なるべく日差しの届く道を選んで進む。肌の調子が良かったのは日光浴のおかげもあるかな。今日も顔をあげて太陽をいっぱい浴びる。おやつにバナナバウムを買った。
本をいくつか取り出して読み出すものの今日はなんだか本に集中できない。難しい本を読んでいだからか呼吸も浅く意識が呼吸に向かってしまう。仕方ない。頭の中を書き出したり、こんな日にぴったりの本を探そう。
生理痛はずっと前からあったけど、生理前に気持ちが不安定になるようになったのは20代後半くらいからだろうか。ぼーっとして深く考えることができない、食べ過ぎてしまう、いらいらする、気持ちが散らばる、不安になる、といった症状がでるようになった。アプリで自分の生理周期を把握するようになってからは、そろそろだなと構えていられるようになり、気持ちは結構楽になってきた気がする。近ごろはもっと楽になってきていて、生理痛もほとんどないし、いらいらもしない。体の調子が少しずつ整ってきてそんなに冷えなくなってきたというのもあると思う。銭湯へ毎週通うのもかなり助けになっていると思う。食べ物も変わってきた。生理とうまく付き合えるようになってきた感覚がある。1番大きいのは、日課を作り習慣化していくことで漠然とした不安がなくなってきているからだと思う。不安やいらいらはホルモンのせいだから仕方ないとずっと思っていたけれど、そんなことはないのかもしれない。
食べ過ぎてしまうという部分はまだ研究の必要がありそうだけれど、深く考えることができないのはいまはぼーっとするべき時間なのだと思うこともできるし、気持ちが散らかってまとまりがないのも無理にまとめようとせずに自由に気分のムラにしたがっていいんじゃないかなと思えるようになってきた。いつもは溢れそうになる頭の中が一時的に空っぽになり、椅子に座ってただ窓から外を眺めたりする時間を作ることもできる。普段は何もせずじっと座っていられないのに生理前のこの時期だけはできる。いつもよりしっかりぼーっとできると思うと面白いことだなと思う。
バナナバウムと持ってきたラテで休憩する。今日は銭湯に行くので早めに帰りたい。図書館の時間はあっという間だ。こんな日もあっていい。家から外に出て場所を変えてみることが大事だと思うことにする。まだ少し先だけれど、6月の梅仕事のことを考えてみたくて梅仕事の本をぱらぱらとめくる。今日は文字は読めなさそうなので写真をみていく。昨日お母さんとも話したけれど、今年は大きめの梅で梅干しを漬けてみたい。梅の木が今年も豊作だといいのだけれど、そうじゃなかったら産地から取り寄せてみたいと思う。梅干しも味噌と同じで古いものほど薬効が高まるらしい。梅干しが腐るというのは聞いたことがないから、もしかしたらわたしがお空へ旅立った後も残っていくかもしれない。そう思うとなんだか嬉しい。誰かに美味しく食べてもらえるかもしれないものをちゃんと大事に作ってみたい。毎日毎日梅干しを食べるけれど、毎年梅干しを作っていけば無くなることもないだろう。手づくりの貯金、投資はケチケチしないこと、と自分に言い聞かせる。
早めに家に帰りポタージュを作っていく。ミキサーに蒸した里芋を切って入れて塩麹も入れておく。フライパンでニンニクと玉ねぎ、九条ねぎを細かく刻んで炒めていく。これを1時間くらい飴色になるまで炒めていくと出汁になるのだそうだ。今日はそこまでは炒めないけれどしっかりめに炒めてみる。途中思い出してクミンを入れて、玉ねぎの色が変わってきたらお水を入れて更にしっかり火を通してみた。少し味見すると薄味だけれど美味しい。もう少し複雑な味が欲しくてお昼に思いついて残しておいたお味噌汁を加えてみると何やらいい具合になった。
料理をしながらお父さんとメッセージのやり取りをする。お父さんの創作意欲が戻ってきたようで今日は玄関のステップを廃材で作ったのを見せてくれた。字がきれいなお父さんは弟夫婦の赤ちゃんの名前を習字で練習しているようでそれも見せてくれた。近ごろわたしもまた自分の描いている絵を送っているのだけれど、それがお父さんの創作意欲を掻き立てたのかなとふと思う。お父さんに伝えるには、言葉で言うより作っている姿を見せることが最も効果があると分かってきた。しばらく描いている絵を見せていなかったことを反省する。
いい具合に火の通った玉ねぎたちをミキサーに移して水を入れて撹拌する。ちょっと水を入れ過ぎたかなと思ったけれどとろっといい具合になった。フライパンに戻して火を通す。味見するとすごくいい味になっていた。これなら豆乳はいらないかもしれないと思いつつ少しだけ入れてみる。味噌を入れるアイデア、いいかもしれない。ところどころに九条ねぎの緑色もアクセントになっている。なんだかおしゃれなポタージュが出来た。
今晩の夕飯は胃腸を休めるためにもポタージュがベストだったのかもしれない。生理前の食べ過ぎのなかでも休まず働いてくれるわたしの健気な体にありがとうの気持ちを込めて。味噌は隠し味になってとろんと甘い里芋のポタージュ。たぶん3度目の里芋ポタージュ、すごく美味しく出来て納得した。
洗い物をしてシンクの中をスッキリさせたらさて銭湯へ。マフラーをしなかったら結構首が冷える。まだ少し明るいうちに銭湯に向かうのは初めてだろうか。今日は湯船でゆっくりのんびりしたい。銭湯の18時台は人が少ないかなと思っていたらそんなこともなくにぎやかだった。この時間は子ども連れも多いみたいだ。湯船にはたくさんの人だけれどカランにはあまり人がいないのでゆったりと体を洗う。隣の小さな女の子はきれいな長い髪を丁寧に何度も洗っていた。空いている湯船に浸かる。ジェットバスが空いていた。マッサージチェアのようにくつろぎながら浸かることができる湯がお気に入り。ふくらはぎの裏側、足の裏をジェットが刺激する。ああ、思わず声が出るほど気持ちがいい。上がろうとしたら何度かみたことある小さな男の子が近寄ってきてどうぞ、と別のジェットバスエリアに案内してくれた。彼はボタンを押すと出てくるジェットバスの泡をご所望のようだ。ありがとうと言ってジェットバスのボタンを押す。喜んで泡を追いかけて遊んで去っていった。普段勇気は出せなくとも、水風呂に入る勇気だけは持てるようになった。せーの、とか意気込まずなるべくすっと入る。腰湯の場合やっぱり最初は上半身が冷たい。カランで少し休憩してまた暖かい湯に戻る。なんにも考えずにただぼーっと天井付近の窓を眺めたりする。さっきの男の子は一人で洗面器で遊んでいたり、人懐っこいので色んな人に話しかけたりしている。気まぐれにあちこち動き回る姿にまわりの大人はみな笑顔になる。和やかな空気が蒸気とともに広がる。
緊張や疲れや不安もお湯に浸かればどこかへふっ飛ぶ。と言っても今日はそんなに疲れているわけではないのだが、と思ったら近ごろ調子の良かった右のひざが少し痛くなってきた。はっと気づく。銭湯に来るのはそういうことじゃない。体の中を癒すために来ているのだった。わたしが疲れを感じないようにするために、わたしの体はなんにも言わずに休みなく働いてくれている。ポタージュで胃腸を休めてあげるのと同じように、銭湯のお湯でじっくりと体を温めるおもてなしの時間なのだった。ごめんとひざに言いながら意識を体に集中させながら再び温冷浴を繰り返した。
1ヶ月に一度、必ずやってくる体の変化の中でぼーっとしながらも考える。この期間は表面的なことや周りばかり気にするのではなく、自分の体の中までやさしく撫でながら、心と体を見つめ直すことができる期間なのかもしれない。
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