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「砂糖病」甘い麻薬の正体      ウィリアム・ダフティ 著 抜粋 ②

1971年の初めにエドウィン・L・バイヤーマン博士を中心とする科学者チームは、new England journal of medicine誌上において、高炭水化物食物は軽症の糖尿病患者や健康人の場合には血糖値を実際には下げる、という事実を報告した。【マクロビオテックの治し方:玄米とカボチャが基本】。

バイヤーマンは「炭水化物を多量に含む食物は血糖を上昇させることはない。それは、ほとんどの医者たちがここ30年来いだき続けてきた思い違いである」。
 
アメリカ糖尿病協会はアメリカ医学界に百八十度の方向転回を迫り、健康人の食物と同様、あるいはそれを上回る炭水化物を含む食物を糖尿病患者に食べさせるように勧告した。

この勧告は、インシュリンおよび他の対症療法の普及によって、多くの糖尿病患者が動脈硬化や心臓麻痺や脳卒中などに襲われることになった、という事実を反映するものであった。

これらの症状は、医者が糖尿病患者に勧めた過度の脂肪摂取によって引き起こされた、と考えられたのである。

【現代西洋医学は、病気の根本を研究する医学ではなく、症状を消す医学である。だから心臓病は脂肪摂取過剰だ、イヤそうじゃない炭水化物だ、イヤそうじゃない精製された炭水化物が問題なのだ、いや植物性油脂が問題なのだ、バターじゃない、マーガリンやショートニングのトランス脂肪酸だ、とかの繰り返しの歴史。このような食物を摂っていると病気になるよ、このような生活をしていると不健康になるよ、という研究にはあまり興味がない。病気になったら手術や薬で治すが基本】。
 
壊血病と砂糖
壊血病と砂糖との間に関係があり得るとする、最も古い医学的警告の一つは、トマス・ウィリス博士によって記録された。

「砂糖漬けによって保存されたり、多量の砂糖で味付けされた物に対して、私は大いに不満の意を表する。砂糖の発明およびその過度の使用が、近年の壊血病の蔓延に大きく寄与している、と私は判断する」。
 
我々がビタミンCと呼ぶものの自然の源である野菜、果物、小果実、木の実などは、濃縮され精製された砂糖(蔗糖)が市場に出回る以前には、甘く感じられていたのだ。

砂糖は精製の過程でビタミンCを奪われた自然に反する人工的な甘さであった。砂糖精製においては、原料となる天然の砂糖黍の実に90%が除去されるのである。

壊血病の根本的な原因は、自然の甘さが濃縮された人工的な甘みに取って代わられたことにあるのである。
 
つまり、白米と砂糖を食べれば脚気になり、褐色の完全な玄米を食べれば脚気は治るというわけだ。こんなことは東洋の素朴な人々にとっては何ら目新しいことではなかった。自然においてはすべてが完全に均衡を保っている、というのが彼らがなお遵守していた自然法則の一つだった。

人間は完全な食物を食べるべきであり、魚ならその全て、葱なら根まで、ニンジンならその先っぽまで、それに地上で栽培される野菜同様、海に育つ野性の海藻をも食べなければならない、と自然の法則は命ずるのである。

米や砂糖は精製の過程で様々なものを剥ぎ取られてゆき、栄養素を除去される。従って精米や精糖を食べることは体に良くない、ということになる。つまり、これらの物質は身体や血液や生命維持に必要な諸器官の均衡状態を狂わせるため、実際に害があるのだ。

AMA(アメリカ医師会)は玄米を食べ、砂糖を食べなければ、病気から癒え、健康を保てると我々は言われたことがあったであろうか。

ビタミン類が莫大なドルを稼ぐ一つの宗教となった後、カジミール・フンクは勇敢にも、パストゥールのように、自分が始めたものを(ビタミンの名をつけた最初の人)元の鞘に収めようとした。

「ビタミン類はいかなる魔法の力も持つわけではない。それらは母乳や牛乳の中に含まれている。母親や乳牛は食べたものからビタミン類を集めているのだ」。

「自然が必要にして十分な食物を生み出してくれているのだから、我々の食物を全て人工的に調合しようなどということは不要なことだろう」。

「自然が我々に十分な食物を与えてくれているのに、人工的食物を製造したり消費したりする方向に人間を向かわしめることは、考えることさえ馬鹿げているといえる」。
 
精米と砂糖の組み合わせは致命的である。特に米を主食とする人々にとってはまさに決定的だ。栄養素の中でも、なかんずくビタミンB群が米から除去されると、身体は不均衡状態に陥る。

それは身体が白米の欠く物質を捜し求め、白米を消化するために身体に蓄積されていたビタミンB群がさらに吸い取られるためである。

精白糖も、同様の理由で、ビタミンB群を吸い取ってしまう。また、精製小麦粉と精糖の組み合わせは、これらの二つのものが合わさって二重の障害を招く。

脚気はその衰弱の最終段階であり、身体が「もう沢山だ」と叫ぶほどの消耗状態である。
 
バランスというものが体にとっては非常に重要なので、砂糖の大量摂取によって突然引き起こされるショックに備える手段を、我々は数多く持っている。

(塩に含まれる)ナトリウム、(野菜に含まれる)カリウムやマグネシウム、(骨に含まれる)カルシウムなどのミネラル類は化学変化の際に動員され、使用されるのである。

これらのミネラル類から酸を中和する物質が創り出され、血液の酸性・アルカリ性のバランスをより正常な状態に戻そうとするのである。

砂糖を毎日摂取し続けると、血液が絶えず酸性過多の状態になるので、この不均衡状態を矯正するために体の内部深くに蓄積されたミネラル類がどんどん要求される。

そして、最後には、血液を守るために大量のカルシウムが骨や歯から奪われることになり、歯や骨は脆くなり、身体全体の虚弱化が始まる。結局、砂糖の過剰摂取は全ての器官に影響を及ぼす。

特に、砂糖はブドウ糖(グリコーゲン)という形で肝臓に蓄えられるが、肝臓の受容力には限界があるため、(必要な自然糖分以上の)精糖を毎日摂取していると、すぐに肝臓は風船のように膨れ上がってしまう。

肝臓がグリコーゲンで満たされ、その最大受容力を超えると、過剰なグリコーゲンは脂肪酸という形で血液の中に再び戻される。

そして、この脂肪酸は体の隅々にまで運ばれ、腹、尻、胸、腿など最も不活発な部分に蓄積される。
 
しかし、これらの比較的害のない部分が完全に満たされると、脂肪酸は心臓や腎臓などの活動的な器官に送られる。このため、これらの器官は機能低下を示し始め、ついには組織の変性をきたし、肥り始める。

そして、これらの器官の能力低下は身体全体に影響を及ぼし、血圧異常が引き起こされる。精糖は自然のミネラル分を含んでいないのである。

(しかし、砂糖大根や砂糖黍はミネラル分を含んでいる)副交感神経が冒され、この神経系が支配する小脳などの器官は活動を弱められ、麻痺してしまう。

(通常の脳機能は消化作用のように生物学的に考えられることは稀である)循環系およびリンパ管系にも影響がおよび、赤血球の質が変化し始め、白血球が異常に増加し、組織の創造は緩慢になる。
 
体の抗毒性や免疫力が低下するため、寒さや暑さ、蚊、細菌がもたらす極端な攻撃に体は適切に対処出来なくなる。また、砂糖の過剰摂取は脳の機能を著しく損なう。

脳の機能を秩序正しく保つ鍵となるものは、多くの野菜に含まれる生命に不可欠の化合物であるグルタミン酸である。そしてこのグルタミン酸が、脳内に「促進」あるいは「抑制」反応を引き起こす相補い拮抗し合う様々な化合物に分解される際、重要な役割を演じるのがビタミンB群である。

腸内のバクテリアによっても造られるが、精糖を毎日摂取すると、こちらのバクテリアは衰弱し死んでしまう。その結果、ビタミンB群の体内貯蔵量は著しく低下する。また、砂糖を大量に摂取すると、眠気を催し、計算能力や記憶力が失われる。
 
不幸なことだが、今日の科学者も、又いついかなる時代の科学者も、スポンサーなしで大したことを成し遂げられない。
 
宣伝は本当のことは決して言わない。

 
砂糖が含んでいるものは、カロリーというエネルギーだけである。


 
 
炭水化物という言葉によって、精糖に対する人々のイメージは著しく混乱したものになっている。化学者たちは砂糖を炭水化物として分類しているが、この新造語は酸素と水素を含む炭素からなる物質を意味している。

彼らが仲間内で話す場合、こうした神秘的な用語を使用したいなら、それはそれで結構だ。

(何千年もの間、人類が主食としてきた)自然で完全な穀物と(せいぜい数百年の歴史しかない制約であり、人類の主要な毒である)人工の精糖との双方を呼ぶのに、実験室の外で、それも特に食品の内容物表示や訳のわからない宣伝文句の中で、炭水化物という言葉を使うのは明らかに悪意ある不正である。

「あなたは炭水化物を必要としています。砂糖は最も美味しい炭水化物なのです」と。
 
ブドウ糖(グルコース)は通常他の糖類と共に果物や野菜中に見られる糖であり、すべての動植物の代謝の鍵を握る重要な物質である。我々が食べる主要な食物の多くは、体の中でブドウ糖に変化する。

ブドウ糖は血液中に常に存在し、しばしば血糖と呼ばれている。デキストロースは澱粉から合成的に得られる糖で、コーン・シュガーと呼ばれている。同様にして、果糖(フラクトース)フルーツ・シュガー、麦芽糖(マルトース)マルトース、乳糖(ラクトース)ミルク・シュガー、蔗糖(サッカロース)は砂糖黍および砂糖大根から作られる精製砂糖―リファインド・シュガー。
 
ブドウ糖は、人間が生まれてこの方、血液中に含まれる人間にとって必要欠くべからざる重要な要素であり続けてきた。

しかし、蔗糖の常用は人間という動物の歴史の中で新しいものである。従って、異なる化学的構造を持ち、全く違った仕方で体に影響を与える。

同一と言うには程遠いこれら二つの物質を呼ぶのに、シュガー(砂糖)という言葉を用いるのは混乱を大きくするだけだ。

蔗糖に中毒を起こしているからこそ血液中のブドウ糖値が低くなりやすいのだ。蔗糖中毒から脱け出し、蔗糖を断ち続けている人は、血液中のブドウ糖値が正常に戻り、そのままの状態に保っていることに気付くのである。
 
「自然の原料から造られた」と砂糖売人たちはテレビであらゆる製品について語りかけている。多くの人々が「自然な」という言葉と「健康な」という言葉を同等と考えるようになってから砂糖売人たちが大衆を欺くために「自然な」という言葉を歪曲して使い始めたのである。

「…から」と言う言葉はテレビでは傍点をつけて強調するわけにはいかない。当然である。

精糖でさえ自然の原料から造られている。自然の原料とは砂糖黍や砂糖大根なのだ。しかし、砂糖黍や砂糖大根の90%が除去されているという事実を、この「…から」という短い文字は仄めかしさえしないのである。

こういうことならヘロインだって自然の原料から造られたものとして宣伝できることになる。芥子も砂糖同様自然植物なのである。問題なのは、人間がその芥子で何をしたか、である。

「クウェーカー100%ナチュラル・シィリアル」の箱の裏に次のように書いてある。「余計なことはしない、ということが美味しい味を生む秘密です。材料は全て自然のものです。いかなるものも加工段階で添加されていません。人工香味料や防腐剤は一切使用されていません。」この口上は何とも素晴らしく聞こえるではないか。

この箱には内容物として蛋白質、炭水化物、脂肪、およびビタミンが記載されている。しかし、約20%の砂糖が含まれていることは、どこにも書かれていない。

砂糖は炭水化物という言葉の傘の下に隠れているのだ。いかなるものも加工段階で添加されていない。しかし、砂糖によって、カロリー以外のすべてのものが加工段階で排除されてしまったのだ。

砂糖の「科学的」名称である炭水化物という言葉の使用は、砂糖売人たちや彼らを弁護する医者の多くが用いる基本的な防衛戦略となっているのである。

もし砂糖の入ったものを買いたくないと思うなら、確実な方法は一つしかない。「砂糖は添加されていません」と記載されているもの以外買わないことだ。
 
ウィリアム・コーダ・マーチン博士の毒の定義 「医学的には、病気を引き起こす、あるいはその可能性のある物質で、体にうまく適合し、体内で消化されるか発達する物質。物理的には、二次的な物質である触媒、化学物質、反応を促進する酵素などの活動を抑制するあらゆる物質」。

博士は生命の力であるビタミンやミネラルを全て取り除かれているという理由で、精糖を毒と分類した。更に博士はどうして精製されたものがいけないかという理由を明確に述べている。

精製された純粋な炭水化物である。精製された澱粉や炭水化物は蛋白質、ビタミン、ミネラルをすべて取り除かれているが、これらのものがなければ体は精製澱粉や精製炭水化物を利用できない」。

「植物はすべて、これらの成分を自らの炭水化物代謝に十分な量だけ自然から供給されている。余分な炭水化物に対する蓄えはないのである。炭水化物の不完全代謝は、ピルビン酸や五個の炭素原子を持つ異常な糖のような「毒性代謝産物」を形成させる」。

ピルビン酸は脳や神経系に蓄積され、異常な糖は赤血球に蓄積される。そして、これらの毒性代謝産物は細胞の呼吸を妨げるのである。細胞は生存し、平常に機能するために必要十分な量の酸素を得ることが出来なくなり、そのうち、こうした細胞のいくつかは死んでしまう」。

このようにして体の一部の機能が妨げられるが、これが変性疾患の始まりとなる」。

「今日、我々の食物の50%以上がこれらの精製炭水化物(精糖、精白小麦粉、精米、マカロニ、ほとんどの朝食用穀物食)によって占められていることが既にわかっているのだから、現代人がますます変性疾患に冒されつつある理由を発見するために百万ドルもの研究費が必要になろうはずがない」
 
こうして、紅茶も砂糖添加清涼飲料の仲間入りし、他の香味飲料水と競合し始めた。コーヒー、清涼飲料類、牛乳、ビール、紅茶、ジュース類、蒸留酒、ワインと言ったアメリカの全ての飲料には、事実上、砂糖もしくは人工甘味料が添加されているのである。揺り籠から墓場まで続く我々の飲料中毒は、実のところ砂糖中毒なのである。

専門医の意見
砂糖や精白小麦をやめて、完全穀物、野菜、それに季節の自然果物に切り換えること、これが思慮あるすべての自然食餌療法の中核となる。

炭水化物の質を変えることによって、健康や生の質を変えることが出来るのだ。それに良質の自然食品を食べれば、量は自ずと制限されることになる。
 
精白糖(蔗糖)に限らず、蜂蜜や果物(果糖)の中に存在するような自然糖類をも含めたあらゆる種類の糖は、胃液の分泌を止め、胃の正常な運動機能を妨げる傾向を有している。

(糖反射という)砂糖は穀物類のように口で消化されるのでもなければ、肉のように胃で消化されるものでもない。糖類のみが摂取された場合、糖類は胃を素早く通り抜けて小腸にまで達する。

しかし、糖類が他の食物と一緒に食べられた場合、例えばサンドイッチとして肉やパンとともに食べられた場合、糖類はしばらくの間胃に留まっている。

パンの中に含まれる糖類やコカ・コーラは、これらの糖類が消化されるのを待っているハンバーガーやロールパンと共に胃の中に留まる。

胃が動物性蛋白質やパンの中の精製澱粉を消化しようと活動しているとき、そこに砂糖が加わると、温かく水分に富む胃中の条件化に、急速な酸化発酵作用が確実に引き起こされる。
 
サンドイッチの後のコーヒーに入れる一つの角砂糖は、胃を発酵状態にさせるに十分なものだ。ハンバーガーと共に飲む一杯のソーダ水も、胃の活動を弱めるに十分なものだ。

穀物食に加えられる砂糖、すでに砂糖の加えられている商品を買う場合でも、後で砂糖を加える場合でも、酸化発酵を確実に起こす。

大昔から自然法は食物の組み合わせに関しては、この言葉の持つ二つの意味で遵守されてきた。鳥は一日のある時間には昆虫を食べ、他の時間には種子を食べることが観察されてきたし、他の動物も一時に一つの食物しか食べない性向を持つ。肉食動物は生の蛋白質をそのまま摂取する。
 
東洋では陰の食物の前に陽の食物を摂ると言う伝統がある。朝食に味噌汁(陽の発酵大豆蛋白)を飲むし、食事は生魚(味噌汁より強い陽)から始まる。

その後に、米(味噌汁や魚より弱い陽)を食べて、最後に陰である野菜を食べる。もしあなたが伝統的な日本の家族と会食する機会に恵まれ、この順序を破ったりすると、東洋人(彼らがあなたの友人なら)は礼儀正しくあるがきっぱりと、あなたの間違いを正すことだろう。

人間はかなり昔に、不適当な食物の組み合わせが人体に及ぼす影響について知らぬ間に学んでいた。生果実と穀物、蜂蜜と粥を一緒に食べて腹痛を起こしたとしても、人間は手を伸ばして制酸錠をとることはしなかった。人間は、こういう組み合わせで食べないようにすることを学んだのだ。

暴飲暴食の習慣が広まると、それに反対するために宗教の掟や戒律が動員された。暴飲暴食は、ほとんどの宗教で大罪の一つとされている。

しかし、精糖に反対する特別な宗教的警告や戒律は存在しない。というのも、麻薬濫用と同様、砂糖濫用は、様々な聖典が編纂されて後、何世紀もの歳月が流れて初めて世界史の舞台に登場したからである。
 
澱粉や(蜂蜜や果物に含まれているような)多糖類が消化されると、モノサッカロイドすなわち単糖類に分解される。これは体が利用できる物質であり、栄養分である。

しかし、澱粉と糖類が一緒に摂取され、発酵が行われると、澱粉と糖類は二酸化炭素(炭酸ガス)、酢酸、アルコール、水に分解されてしまう。これらの物質は、水を除けば、すべて体が利用できない物質であり、毒である。

蛋白質が消化されるとアミノ酸になるが、これは体が利用できる物質であり、栄養分である。しかし、蛋白質が砂糖と一緒に摂取されると、これらは腐敗し、様々なプトマインやロイコマインに分解されてしまう。

これらの物質は体が利用できないものであり、毒である。酵素による食物の消化は、体が利用できるような形に食物を整えてくれるが、バクテリアによる食物の分解は、体が利用するのに適さないような形に食物を変えてしまう。

前者は栄養分を我々に与えてくれるが、後者は我々に毒をもたらすのである。
 
理論的に必要とされるカロリーや栄養素を毎日消費したとしても、でたらめな早食いをして、ごた混ぜの食物が消化管の中で発酵したり腐敗した場合には、こうした計算方法はいったい何の役に立つのだろうか。

胃腸の中で腐敗させられるためにのみ蛋白質が摂取されるとしたら、この計算方法にどんな利点があるのだろうか。消化管の中で発酵する炭水化物も、消化吸収される単糖類ではなく、アルコールや酢酸に変化させられてしまうのである。

「摂取された食物から栄養を引き出すためには、食物が消化されなければならない。食物が腐ってはいけないのである」と何年も前にシェルトンは警告している。

確かに体は尿や汗によって毒を排出することができる。尿中の毒の量は腸の状態を示す指針とされている。そして、ちょうどヘロイン摂取に体が次第に順応していくように、体はこれらの毒に対する耐性を獲得する。

しかし、シェルトンは次のように言う。「ガスの滞留による不快感、悪臭を発する息、むかつくような不快な体臭は、毒と同じくらい好ましいものではない」。

【食物を体内に入れる順番がある、という考えが前にもどこかで読んだ記憶があるが、果たして根拠があるのか。エビデンスがあるのかと最近はよく聞く言葉であるが、エビデンスを作る研究もタダでは出来ない。研究資金が必要である。無いなら研究は出来ない。都合が悪い事情がある場合は、まず研究者に研究をさせない。無理に研究をすれば次の研究資金はもらえなくなると脅かす。新事実とは研究者がいて、かつ資金があって初めて生まれる。だからエビデンスがある、無いは、少なくともこの2つが条件として揃う必要がある。エビデンスは無い=根拠が無い、のではない】。

【エビデンスが無い、ならそれが自然かどうかも判断の目安になる。例えば肉を食べなさい、肉は身体に良いとか言うが、人類がそれを食べることが出来るほど豊富に食べられる動物はいない、ということを考えると、今の家畜の飼育法から考えても不自然と思う方が妥当だ】。

【中国人は昔から食べ物に関して非常に関心がある民族なので、彼らはこの「食する順番」について何か有益なアイデアがあるのだろうか。どうして中華料理の最後にスープが来るのか。その前には麺とかご飯類などの穀類、コースの最初はピータンや鶏の胸肉の冷菜とか、この辺りにヒントがあるかも知れない】。

【和食の、定食は全部一緒に来るので問題外であるが、会席料理などどうなんだろうか。寿司屋でもカウンターなどに座ると、直ぐ握るか刺身でスタートするか訊かれるが、これは穀類はあとでという意味なのか】。
 
胃腸薬としてのアスピリンは内臓に出血を起こす。

【現代では砂糖より更に体に悪い「高果糖コーンシロップ」とか「異性化液糖」とか言う名前で記載がある。これは合成砂糖で非常に甘く非常に安いので業者は使いたくなる。まだ砂糖の方がマシだ。兎に角砂糖は毒だと思わなければ健康を保つことは出来ない。もし使うなら黒砂糖か蜂蜜だと思う。でもこれも必須ではない。私はコーヒーも紅茶も何も入れない。緑茶と同じように飲む。別にグルメではないがその方が味が分かると思う】。

【デパートの地下食品売り場や駅や空港のビル内の売店で「甘いもの」を販売している店の数は半数以上だと思う。これだけ体に良いものとして販売しているなら問題ないが実は真逆なのだ。口に入れた時は美味しく脳が快感を得るがじわじわと体は蝕まれてくる。常習しないこと】。

③に続く

 

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