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面倒と好き
免責事項
本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。
◆古く壊れかけたヘッドホン
◆反応が鈍くなったスマートフォン
でも買い替えるのが面倒臭い。
この場合、気持ちは既に買い替える方向に行っている。買い替えることは既に決定されていて、それをまだしていない現在は認識の外に追いやられて、もはや無いことにされている。
替えるのが面倒臭いということは、変化がイヤということだ。それは、ひいては今が好きとか平穏という傾向としても解釈できる。
不便なモノを騙し騙し使い続けることが、新しく便利なモノに関わり始めるよりもマシという気持ち。少なくとも部分的には。
その、今となっては不便になったモノをかつて気に入っていたことを、今もまだ気に入っている部分があることを忘れないでいたい。
これがもし機械の話ではなくペットや友達だったらどうだろうか? あるいは自分自身だったら?
替えるということは本当に可能なことだろうか。
何かを面倒臭いと思うとき、現状の平穏を思い出すときだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!