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全く専門外のことを空想した産物を堂々と投稿しています。

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    空想の産物として大きくなり過ぎたものたち。

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「数学なんて何の役に立つの?」と戦う方法

「数学なんて何の役に立つの?」 「将来に役に立たないのでは?」 こういった疑問は、特に学生だった頃や数学を教えていた頃に たまに遭遇するものでした。 この疑問について、面白半分に屁理屈を捏ねてみました。 昔、「詭弁の特徴ガイドライン」というのを見たことがあります。 あれが面白かった人には刺さるかもしれません (私です) 疑問への応答 やや数学に偏っています。 回答としては成り立っていないものもあります。 まずはこれ。 以降も全体的に偏屈な答え方が続きます。 数学の

    • クモの食事ルーチン

      五日前に現れた。 家の物置付近にクモの巣を張っている。 ナガコガネグモという種類のようだ。 クモの巣を張るタイプの中では大型の種類。 記事末尾に写真。 苦手な方はご注意ください。 自宅に湧いていた毛虫を与えたところ、食事行動が面白かったので記録しておく。 ◆獲物を発見 クモの巣にかかった獲物を察知するとそちらを向いて10秒くらい沈黙 (凝視?)する。 ◆確保 獲物を回収しに行くとき、八本の長い手足をわたわたと動かすので、動きが大きくて慌ただしく見える。 ◆料理①

      • 「弱者」の定義案

        免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 2024/9/30 内容が無責任のような気がしてきました。 取り急ぎ、この記事における「弱者」は造語だと思っていただけると助かります。 概要 まず準備として、「生存戦略」と「生存資源」、「強者/弱者」について確認します。 次に、生存戦略の分類とそれに基づく強者/弱者の解釈を示します。 最後に、次の強者/弱者の定義を提案します。 1. 経緯最近、弱者という言葉をよく見かけた。 そこから、弱者という言葉にはネガティ

        • 発動性向上策:完璧主義の解体のための考え方

          免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 発動性向上策 この行動傾向を解体するために有効かもしれない考え方 1は、数的には100よりも0に近い。 しかし、心理的には1は100に近いと考える。 1から100までの99という膨大な道のりよりも、0から1までのたった1の道のりの方が貴重、ということだ。 数的ではなく心理的に。 考えられる難点 この考え方に従うと、行動の発動性は高まるかもしれないが、それと同時に、表裏一体の難点も生じると思う。 それは、

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        • とりとめなきこと
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          回答不可能な質問について

          免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 1. 経緯 このような言葉を問い掛けられて困ってしまった経験はないだろうか。私にはある。 すると、「たしかに、自分は偽物かもしれない……」と思ってシュンとしてしまったりする。 自分がそうなったこともあるし、他人がそうなっているのを見たこともある。 本稿で注目して扱うのは、このような”長期間にわたって特定の言葉に囚われて苦しめられる問題”についてだ。 本稿では、このような言葉を”呪いの言葉”と呼ぶことにする。理

          回答不可能な質問について

          呪いとは何か? ~関係性による定義案~

          免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 怖い話ではありません。なんか怖いサムネにしちゃってすいません! 概要 呪いについて考えてこねくり回していたら下図のような整理された関係を見出したので、解説する。 これが呪いの定義になりうるのではないかと期待している。 1. 経緯:「呪いって何?」という興味 私は二年ほど前から「呪い」という言葉に興味があった。 そんな理由で、オカルト的な対象である「呪い」を、オカルトという分野から言語的な分野へ持ち出して明

          呪いとは何か? ~関係性による定義案~

          教育は三次産業なのか?

          免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 概要 「特定の定義に基づけば教育は一次産業だ」という提案をする。 背景 一次産業は、農林水産業とされている。 教育産業は次の引用によれば、一般的には三次産業に含まれているようだ。 記事『6次産業とは?3つの事例とメリットを解説 豊かな資源に付加価値を』(https://eleminist.com/article/1228)より引用。 提案 上記引用に対して、私は「教育は一次産業に含まれるのではないか?

          教育は三次産業なのか?

          感謝とは? 謝罪とは?

          免責事項 本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。 概要 例外を除けば、感謝と返礼はセットだし謝罪と賠償もセットだ。 本文 ゆえに、「返礼意思なき感謝」と「賠償意思なき謝罪」はあり得ない。少なくともそれらは感謝でも謝罪でもない。 基本的に感謝と返礼はセットだし謝罪と賠償もセットだ。 最後まで読んでくれてありがとうございました! (👆この感謝にも原則的に返礼が必要)

          感謝とは? 謝罪とは?

          どうして平気で湯船に浸かれるのか?

          ふと、湯舟に浸かるのは意外ととんでもないことのような気がした。 なぜなら、体表のシステムに大きな変化が生じることによって体内システムまで影響が及び、身体全体の生命活動にまで支障をきたすリスクがあるからだ。 しかし、実際にはそうなっていない。少なくとも、人間の日常生活においては。 微生物とかのスケールになると前述のリスクは無視できないのかもしれない。 では、どうして人間は生命の危機など考えもしないで湯舟に浸かることができるのだろうか。 理由A:身体が大きいから 思うに、人間

          どうして平気で湯船に浸かれるのか?

          幻想的方法の悪影響

          注 本稿は専門性の無い思い付きです。 幻想的方法は私の造語です。 「幻想的」を次のような意味で使っています。 理想的かつ非現実的というようなニュアンスです。 概要 社会には「幻想的方法」が氾濫しているので注意が必要だ。 それはドラッグに似ていて、恐怖に対して麻酔を与え依存させる。 悪影響として、次の三点が挙げられる。 【図解】幻想的方法とその悪影響

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          支配過敏に対する「再支配」という提案

          この内容に専門性や信憑性はありません。 何かの役に立てば幸いです。 1. 導入:支配過敏による悪影響 私は、他者から支配されることを嫌う。 それを「支配過敏」と名付けた。 これは裏を返せば、「常に自由でありたい」とか「自分の思うようにやりたい」といったことだ。 支配過敏があると、些細なことでも、自分が支配されたと感じて激しい不快感や怒りを感じる。 しかし、それの怒りが何らかの形で補填されることは殆ど無いし、「支配された」という認識が思い過ごしでしかないことも少なくない

          支配過敏に対する「再支配」という提案

          理想の光と影

          1. 光:物語の素晴らしさ モヤモヤをハッキリと代弁してくれる物語がある。 やり場のない感情を受け止めてくれる物語がある。 弱ったときにずっと寄り添ってくれる物語がある。 誰にも理解されない自分を理解してくれる物語がある。 物語は心地良いものだ。 2. 影:物語の危険性 ただし、いかなる物語についても、その内容を現実だと錯覚してはいけないのだと、私は思う。 物語の内容は現実ではなく、現実を模して作られたものだ。 物語に入れ込むことを手放しで称賛できない。常にどこかシ

          理想の光と影

          社会的な力の分類、PowerとForce

          この記事は個人的な空想です。 専門的な信憑性に欠ける内容となっておりますので、ご利用の際は自己責任でお願いします。 特に、鬱の治療については医師の判断に従ってください。 1. PowerとForce 人間が社会において生きていくためにPowerが重要なことは明白だ。能力や活動力、体力といった人的資源が必要だということだ。 一方で、人間は社会生活において様々なしがらみに囚われている。束縛、制限を受けている。これはForce的なものだろう。 2. PowerとForceの

          社会的な力の分類、PowerとForce

          価値観の違いについて (1) ~事例「捨てられたおはぎ」~

          事例について このような出来事から悲しさを感じる人は少なくないと思う。 この事例は、おばあちゃんが「相手に喜んでもらえる」と思って為した物事が、それを受けた相手からすると全くの無価値あるいは迷惑だった、ということだ。 この場合、おばあちゃんが差し出した おはぎ は彼女自身にとっては真に価値あるものだったはずだ。 ただし、おばあちゃんには相手の気持ちを推察する能力が欠けていた。 だから、おばあちゃんは相手にとって無価値か迷惑でしかない おはぎ を贈ってしまった。 そし

          価値観の違いについて (1) ~事例「捨てられたおはぎ」~

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          能力と行動の扱われ方から考える社会文化

          個人的な考え事を記録しました。 私は以下の内容に関して専門家ではないので、内容に専門性はありません。 1. 経緯、問題提起どこかで次のような話を見た。 2. 連想したこと上の話を見て、私は次のような連想した。 3. 能力と行動「できる/できない」と「する/しない」がある。 「能力」と「行動」という二つの軸だ。 組み合わせると、次のように2×2で4通りのパターンを考えることができる。(下図1) 表面上目に見えるのは、行動の部分だけだろう。能力は目に見えない。 だから、「

          能力と行動の扱われ方から考える社会文化