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そうだ、文学フリマ、出よう①
心のスキマを埋めたくて
こんにちは。しがない物書きの九曜です。
ここでは二次創作の話をしてゆくつもりでした。
「九曜」という名前も二次創作用のペンネームです。
でも、大好きなおサムライさまとがむしゃらに走り続けて、オンラインイベントも企画して、ふと思ったのです。
「九曜」じゃない私はどこまでできるのかな、と。
恥ずかしながら、手元に20年以上も寝かせたとあるバンドへのファンレター代わりの一作が死蔵されておりました。
それは「九曜」でない私が書いた物語。
今思えば、文章も稚拙で赤面ものの一作ですが、確かに二次創作とは違う原動力で書いた物語でした。
「これ、読んでもらえるかなあ」
ただ、本当にそれだけがきっかけです。
よく覚えていないのですが、「文学フリマ」というものの存在を知り、そこが広く文字好きが集う場所だとも知りました。
そして、何たる巡り合わせか、地元京都で来年の1月に文学フリマが開かれることになっていたのです。
これは応募するしかない!
普段は石橋を叩いて壊す性格の私ですが、物書きの人格はとにかくフットワークが軽い。
早速文学フリマのホームページに飛んで申し込みを済ませたのでした。
文学版コミケ?
文学フリマは、10代〜90代まで、プロ・アマもジャンルも問わず、小説も評論も研究書も詩歌もノンフィクションも集まるイベントです。
うーん、まるで文学版コミケですね。
ちょっと覗いてみると、本当に「文学」の定義は人様々、探せばBLからお堅い評論まで存在しています。
でも、二次創作のイベントで感じたもどかしさ、「文字より絵の方が目に留めてもらいやすい」というハンデはありません。
いや、それを言い訳にしてはいけません。
しかし、生まれてこの方リアルイベントに出たことのない身、不安も多いし勝手もわからない。
そうだ、リアルイベントなら愛知の友人がいるじゃないか!(この愛知の友人は「ROM専の私がPCで自立する文庫サイズの同人誌を作るまで」の記事に登場した私の同人の導師です)
早速電信を飛ばして質問。
「文学フリマに出ようと思うんだけど」
「文学フリマ?何それ?ちょっと調べてみるね。うん、おサムライさまのことは置いておいて、キミの文章ならそっちもありかもねー」
「で、本名で出たいんだけど」
「昨今は物騒だからそれはやめとけ」
「はい……」
「で、本文もできてるし装丁もお任せ(プリントオンさんのわくわくドキドキデザインセットを使用しようと思っているのです)なんなら、ブースを飾るのに全集中するといいかもね」
「???」
「長机半分が1ブース。そこはキミのお店みたいなもんだから、せいぜい目立つようにお店を飾りたまえ。コミケだけど「設営完了」でググれば色々出てくるから」
「はい……」
「めんどくさかったら本が傷まないように布を敷いとくだけでもいいから。リアルイベントは楽しいよ-」
物書きの私よりフットワークの軽い友人は、今度友人の友人に頼まれて某六つ子の出てくるアニメのアンソロジーの売り子を○○年ぶりにやるのだとか。相変わらずうらやましいほどの行動力です。
新生九曜、爆誕!!!
そんなわけで、私は九曜のまま文学フリマに昔の恥をひっさげて参加することになりました。
一次創作用のTwitterと専用Gmailアドレスまで装備して……
さて迷える羊は無事に文学フリマにたどり着けるのでしょうか?
続く……(かもしれない)