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③「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」第三章
この本に出会わなかったら、今の僕の心はここまで軽くなっていない。
バイブルとして何度も読み返したい、そういうレベルの本。
だからこそ、本当はまえがきから全部書きたい。ので、全部書くつもりだが、一番今を救った第三章から書こうと思う。
第三章「働くことと愛すること」
敢えて本を読み返さず、二周読んでの理解で書く。
「働くことと愛すること」は深層心理学者のフロイト(夢分析とか超自我とかの超有名人)の言葉。
大人にできなくてはならないことは?に対するアンサーが「働くことと愛すること」らしい。
では、「①働くこと」「②愛すること」はそれぞれ一体何なのか?
①「働くこと」
文字通り働くことである。ただ、著者によると一般に考える「賃金が発生する労働」以外も含めて指すらしい。
すなわち、ボランティアや家事なども働くことに含まれる、と。
だから「働くこと」はこう言いかえることができる。
「何か目的があってそれを果たすために動くこと」。
例を挙げると、被災地復興ボランティアは被災地に不足する物資を送るという目的を果たすために動くのである。皿洗いは再びきれいな状態の皿を使うという目的を果たすために動くのである。
②「愛すること」
そう、恋愛だ。つまり、働いて、結婚することが必要だ。
という話ではない。こう書かれたら腑抜けてしまう。
「愛すること」は「何かと共にいること」である。
どういうことか?
例えば、恋人とデートに行くとき、「水族館に二人で行くという目的」を果たすために行くだろうか?
目的は「恋人と会うこと(先述の太字に沿うと、「いること」)」そのものであって、水族館はそれを果たすための手段ではなかろうか?
例を挙げると、友人や家族、趣味も「愛すること」に含まれる。
子どもを弁護士に育てるために家族になろうということはないし、邦ロックが好きなのはロックバンドをみんなに広めるためではない。
混ぜるな危険
著者によると、「働くこと」を「愛すること」を混ぜると、破壊的に作用するらしい。
ここでピキーンと稲妻が走る。
例えば、友人関係。
静岡から出るとき、東京から出るとき、もうこれから会ってお互いの退屈な時間を解消するという目的を果たせないのならば、お別れだから最後の一度会っておこうなど必要ないのではないか。
友人関係の中でも女性。
恋仲になるという目的を果たせないのならば、その女性と会う時間なんて無駄なのではないか。
そう、あたかもビジネスのように目的を果たそうとしていたのだ。
ここには心がない。友人関係は「共にいる」でいいのに、何かを与えなきゃいけないと必死になっていた。
そして、退職してからの生活。
働くためのこと(ビジネス本を読む、資格試験の勉強をする、働くための体力を取り戻すために運動をする)以外をしている時間(スマホを触る、ライブに行く)に、罪悪感を感じていた。
すなわち、ただ「愛すること」ができなくなっていた。
「愛すること」が常に脅かされる。だから、休んでいても一向に心は休まらなかったのだ。
あ、こう生きたらいいんだ
「働くこと」と「愛すること」を分けよう。分けていいんだ。
みんなそういう風に生きているんだ。それが世間知なんだ。
「働くためのことをしている時間」と「ただそこに居るだけの時間」どちらもあってもいいんだ。
胸を張れるような企業勤めじゃなくても、「愛すること」に時間を割く自分を許してあげていいんだ。
これを受けて、「働くこと(仮=職業訓練)」と「愛すること」を上手く分けて考えられるようになった。
趣味の時間、友人と遊ぶ時間に「愛すること」を適用する。
そこには心が存在する。温度を保った心が存在する。
ああ、楽しいってこんな感じだったのかもしれない。
そう、僕は漸く生きられるようになってきた。
「愛すること」が奪われがちな現代社会
ここで終わりではない。
なぜなら俺は「働くこと(仮)」の真っただ中にいるからだ。
これから「働くこと」を確保して生きる中で、「愛すること」が奪われてしまってはいけない。
それを恐れる理由は、現代社会の「愛すること」は「働くこと」に飲み込まれがちだからだ。
どういうことか?
(ここから先はもう少し当書を自分の頭でかみ砕いてから書こうと思う。)