心に余裕がある状態って大切だと思う
みなさん、こんにちは。おかぴです。
無職マンの100日チャレンジ55日目の投稿です。
今日のチャレンジ内容は
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒お弁当を作る!
②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒心の余裕がない状態は危険
自分のためのお弁当っていいね
今朝は自分のためにお弁当を作りました。といってもおにぎりですが。
沖縄の「ポークたまごむすび」をイメージして作った、「ポークたまご風おにぎらず」です。↓
スパムの代わりにソーセージ?ハム?を焼いたものと、薄焼き卵、サニーレタスを挟みました。
なかなか美味しかったです。簡単に作れるのでリピ決定!
誰かのために作る料理も良いものですが、自分のために心を込めて作る料理・お弁当ってのもいいもんですね。
手づくりだから自分好みの味付けにできますし、味わって食べようという気持ちにもなります。
朝になってその日の気分で何を持っていくか考えている時間も楽しいものです。明日も気が向いたら作ろうと思います。あ、お米炊かないと。
心に余裕がある状態って大切だと思う
今日お弁当を楽しく作って、楽しく食べて感じたのが「心に余裕があるからこそ小さな喜びを味わえている」こと。
かつて忙しく生活していたころは、とりあえずお腹がいっぱいになるものを食べていればよかったし、お弁当を作るのは時間がない中でやらなくちゃいけない面倒なことという認識でした。
でも無職の今となっては、時間の制約もないので思うままに1日24時間を使うことができます。
今朝のように自分のために心を込めてお弁当を作ることだってできます。
お金はありませんが、こうした時間をしっかりと咀嚼して味わえている今は私にとってはとても幸せなことです。
きっと私は「心を込められる状態が幸せ」で「心に余裕がない状態がとてつもなく嫌い」なんだと思います。
のんびりと生きながら、少しだけ自分の心を外に発信して、世界を味わっている状態がとても落ち着けて快適に感じられます。
逆に訳も分からずに一生懸命夜中まで働いたり、お金や出世、私生活の充実などのために頑張って毎日働いたりするのは、不快に感じられます。
文字に起こしてみると、とんでもない甘ちゃんの発想だなと思うのですが、それでもいいのかなと思います。
別に一生懸命働くことだけが幸せな道ではないし、成功を求めて努力する人もいていいし、自分のできる範囲で社会とつながりを持って生きてもいいし、なんだっていいんじゃないでしょうか。
少なくとも私は、勝手に人の人生に土足で踏み込まない限りは、どんな生き方をしてもいいんじゃないかと思っています。
話がやや変わってしまいましたが、こうやって生き方について考えられているのも心に余裕があるからだと感じます。
もし、毎日生きるだけで精いっぱいできつい人がいたら、思い切って休んでみてください。
心に余裕がないと良いことはないので、ぜひ休んでください。
それではこのあたりで失礼します。また明日も楽しみます。
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