大人になってからなぜか減る”ありがとう”
みなさん、こんにちは。おかぴです。
100日チャレンジ27日目の投稿です。
今日のチャレンジ内容は
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒「ありがとう」を心を込めて伝える
②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒生き方は行動に表れる
”ありがとう”の言える人間でありたい
今まで自分の楽しいことやうれしいと思えることを毎日やってきました。今日は少しだけ方向性を変えて、心を磨くことも大切にしたいと思い、「”ありがとう”を心を込めて伝える」ことを意識してみました。
相手に伝わったかはさておき、買い物をしたときは店員さんに、夕飯の手伝いをしてくれた時は家族に、積極的に”ありがとう”を伝えてみます。すると、なんだか私の心もほっこりするような不思議な感覚になりました。たった5文字でも素敵な言葉ですね。
でも、小さい子供でも知っている言葉なのに、なぜか大人になってから純粋な気持ちでありがとうを伝える機会が減った気がします。(私だけでしょうか??)
手伝ってくれてありがとう、話してくれてありがとう、一緒にいてくれてありがとう。意識すれば日常にはたくさんのありがとうがあふれているのに、どうして口に出さなくなるのでしょうね。
”ありがとう”は元々”有難い”から来ている言葉という話を聞いたことがあります。
「有ることが難しい」からこそ、有ることに自然と感謝の言葉が生まれてくる。その言葉の通り、誰かが何かをしてくれるのは本来当たり前ではないこと、あなたを助けてくれることは有難いことなのだと思います。
それに明日自分が必ず生きているという保証もありません。
後で後悔することがないためにも、きちんと相手に心を込めて感謝の意を伝えるべきだと感じます。
生き方は概念ではなく行動で表せる
私はここ最近(3年くらい)、自分の生き方について考えています。ただいくら考えてもこれ!という生き方が見つからないのです。さすが生き方、手ごわい相手ですね。
でも今日、2021年7月23日に大発見があったのです。
それが「生き方は概念ではなく行動である」こと。
いや、そりゃそうでしょ。何を当たり前のことを言ってるんだよ、と思う方もこんな若造のことを優しく見守ってください…
私にとってハッとさせられたのは、生き方が日常の些細な行動で表せること。心のどこかで、「生き方は何か決まったものがあって、それに沿って行動していく」のだと思っていたのですが、そうではなかったようです。
自分がどんな行動を選択してとるかが価値観や生き方をそのまま示すことになり、小さな行動の積み重ねが自分らしい生き方を築き上げていく。そして自分らしい生き方が、行動自体にも変化を与えていく。
【行動⇒価値観・生き方⇒行動】
という流れで生き方もできていくのだと気づきました。
例えば、横断歩道が赤で、人も車1つもいないときに渡ってしまうかどうか。しかもその横断歩道は長さが2mほどとすぐに渡れてしまうくらいだとします。
渡ったからといって、別に誰かが自分をいさめたり、ペナルティがあったりするわけではありません。それでも私は待つことを選びます。今日も選びました。
なぜその選択をするか。その答えは「自分らしい」から。私自身が、横断歩道を渡らずに守る選択をしたほうが心が健康でいられて、自分がそうしたいと思うから。それが理由です。
横断歩道の1つの行動で自分の生き方が決まるわけではありませんが、十分に自分の生き方が現れた行動だと思います。
そしてこうした小さな行動の選択の積み重ねが、いつか実を結んで私なりの生き方の形ができていくのでしょう。
今は形としてありませんが、続けていれば必ず形になると私は私を信じています。
明日も私らしい行動をコツコツと意識して重ねていこうと思います。
今日も悪くない1日でした。明日も頑張ります。それではこのあたりで失礼します。
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