周りにすごいヤツがいる、それが何だというのだ。
みなさん、こんにちは。おかぴです。
無職マンの100日チャレンジ69日目の投稿です。
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒髪を切りに行く!
②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒”あなた”という価値は永遠に不滅である
もう我慢できない…(髪を切るだけの話)
コロナ禍で髪を切りに行くのも遠慮していましたが、さすがに髪が言うことを聞かなくなってきたのでカットへGO。
どーでもいいことですが、天パで毛量が多いので、伸びるともこもこヘアーになってしまうんですよね。クセ強ヘアーの宿命です。
髪を切るだけで心も不思議と軽くなった気がします。
ストレスを無意識で感じていたのかもしれませんね。すっきりして嬉しいです。
”あなた”という価値は永遠に不滅である
さてさて、今日の日記のメイン。学びについてです。
今日発見したのは「周りがどうであれ、自分の価値は絶対になくならない」ということ。
過去にどん底まで落ち込んだ経験・一昨日昨日と心が不安定になった経験・読書で得た知識、この3つから自分なりに掴んだ発見です。
今の時代、SNSをちょっと覗けば「わあ、すごいな」と感じられる人に出会えます。多くの人と出会えて、手軽にその人の作品を見られるのは良いことでもあります。(無料で動画やイラスト、マンガ、小説などが見られる)
ただ、その一方で「私はとても無力な存在だな」と実感する機会が多いとも思います。
自分には到底表現できない作品を目にしたら、凹んでしまいます。賞賛のコメントを見たら、私には縁がない世界なんだろうなと感じてしまいます。
実際に私もこうやってnoteを毎日更新していますが、ちっぽけな存在だと思います。周りを見れば、note界隈でも毎日数千文字の文章を書きあげている方や、💛やフォロワーさんが沢山いる方は山ほどいます。
周りと単純な数字で比べてしまえば、私の価値は大してないです。それでも”わたし”の価値はなくなりません。
なぜなら、毎日数千文字の文章を書いている人と私は別人だから。
なぜなら、多くの💛をもらっていたり、フォロワーさんがいたりする人と私は別人だから。
私がすごいと感じる人であっても、私と一語一句同じ文章は書けないし、同じ感情を抱くことはあり得ないんです。
それが分かっているから、私はたとえ称賛などなくとも、延々と毎日日記をnoteに投稿しています。
いやいや、そんなこと言って…ただの強がりじゃないか?と思うかもしれません。そういう人にはこう返します。
「はい、強がりです。ほんとうは不安で仕方ない人間です。」
私は本当はとても自信がなくて、取り柄もないと思っています。昨日も一昨日も心の弱さが原因で、凹みました。SNSで活躍しているしている人の投稿を見て、落ち込みました。具体的に「じゃああなたの価値っていったい何なの?」と聞かれたら、答えられないと思います。
それでも自分の心の弱さや、自己肯定感の低さも含めて”わたし”という存在なんです。誰が何と言おうと、周りからの評価がどうであろうと、”わたし”の価値は絶対になくならないんです。
だから「周りにすごいヤツがいる、それが何だというのだ。」くらいの心持で生きていいのだと思います。
とても大切なことを学べた1日でした。また明日もわたしらしく生きてみます。それではこのあたりで失礼します。