うまく頑張れなかった日の方が大切なのでは?
みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。
このnoteでは私が毎日学んだことを発信しています。人生や”らしく”生きることなどが私の大好きな分野なので、そこら辺のテーマが中心になると思います。
今日は「頑張れた日よりもうまく頑張れなかった日のほうが大切なのでは?」という私の考えをつらつら書こうと思います。
朝起きて仕事をしたり、家事をしたり、ご飯を食べたり、何もしなかったり…どんな1日を過ごしても夕方はやってきます。
そしてふとした瞬間に「今日はイマイチだったなぁ」とか「今日は少しだけいいことがあったなぁ」とか振り返ります。
誰でも嫌なことや上手くいかなかったことがあると凹みますよね。私も凹みます。それはもう、ぺしゃぺしゃです。
その一方で良いことがあると、少し浮かれ気分で夕ご飯が食べられます。お布団に入ってもなんだかよい気分です。
じゃあどっちのほうが大切なのでしょうね?
正論を言えば、どっちも大切な1日です。それはその通りなのですが、個人的には「ながーーい目で見れば、凹んだ日のほうが大切なんじゃないかな」と思うんです。それこそ3年とか5年スパンで考えると。
だって、人生生きていたら、上手くいくことの方が少ないし、同じようなことで凹むのも多いじゃないですか。今日も些細なことですが、二度寝してうわーっとなりました。
そういう小さな凹みの方が、次に生かしやすいのかなと思うんですよ。
<幸せを増やして生きる>より<凹むのを減らして穏やかに生きる>考え方です。嫌なことを避ける、やりたくないことをやらないと近い系統の考え方ですね。
3年とか5年スパンで考えれば、自分が幸せを感じるテクニックを増やすより、朝二度寝した時にうわーと感じない考え方を身につける方が、相対的に嫌な日が減るのかなと。
だから、上手くいかなかった日が続く人は、無理に幸せや良いことに目を向けるのではなく、目の前の小さな凹みを解消していく考えもありなんじゃないかと思います。
毎日がんばろう、良いことを見つけようとする発想もいいですが、現状で一番穏やかに生きられるスタイルを目指す発想もまた面白いと、私は感じて実践しています。
もしかしたら、凹みを減らすことで心に余裕ができて、徐々に良いことにも目が行くのかもしれません。
じゃあどうすれば…と聞かれたら1日1日で実験してみるしかないんですよね。
二度寝したなら、二度寝も悪くないかと言い聞かせたり、とりあえずうわーと思いつつも顔を洗ってみたり…その場しのぎを繰り返しているうちに何か自分に合う凹み解消法が見つかればいいなといった具合です。
私も絶賛実験中です。もしかしたら、半年後にはやっぱり良いことを見つけたほうがいいぜ!といっているかもしれません。あくまで今の私の見解として受け取ってもらえたらうれしいです。
それではこのあたりで失礼します。また明日も前向きに生きてみます。