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スマホに縛られてるなんてもったいない

みなさん、こんにちは。おかぴです。

100日チャレンジ21日目の投稿です。

今日のチャレンジ内容は
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒スマホを極力見ない

②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒スマホがなくても余裕で生きていける

最近は毎日の生活習慣を見直して、なるべく新しい習慣を取り入れるようにしています。今回はスマホを見ないこと。
スマホを見ていると、視覚的刺激が多くてついつい余計なニュースを見てしまったり、YouTubeでもともと見たいとも思っていなかった動画を見てしまったりします。

人は視覚から得る情報が8割近くを占めているというように、目で見たものの影響を強く受けてしまいます。なので最初は気になるニュースがあってスマホを開いたつもりが、気がついたら違うページまで見て30分経っているなんてことはざらにあります。みなさんもあるあるではないでしょうか?

私は別にスマホ絶対反対!というわけではないですが、スマホに自分の貴重な時間を割いてやる必要もないんじゃない?と思います。
私もそうですが、時間がない、時間がもっと欲しいというわりに、いざ自分の時間ができたら有効活用するよりも惰性や無駄遣いに走っているような気がしてなりません。時間だって有限だし、いつなくなってしまうかもわからないものだからこそ、スマホなんて娯楽に明け渡すのはもったいないのではないかと思うのです。

スマホを見ないために具体的には、「そもそも視界に入らないところにスマホを置く」ことを意識しました。今日は外出して読書に浸る時間にしたのですが、スマホはあえてカバンの中に入れて取るのを面倒くさい状態にしました。
それと、スマホを使う用事(例えばわからない言葉を調べるなど)が出てきたときは、必要なことを調べたらすぐに電源を切ること。もしもう一度調べるものが出てきたら、その時に電源をONにして調べれば良いだけ。また使うかも、と思って近くに置いておくと、たいして必要もない時でさえスマホに頼ってしまいます。

結果は大成功。スマホを見る回数も、一回当たりの見る時間も減り、集中して読書に浸ることができました。
いざやってみると、スマホがなくても全然問題なく生きていけることが分かりました。家を出るときに充電が約30%でしたが、家に帰っても20%くらい。今までだったら、充電ができるカフェなどに焦って向かっていましたが、何も慌てる必要などないんだなと思います。

普段どれだけスマホに縛られて生きているか、学んだと同時に少しゾッとしました。歩きながらもスマホを見たり、横断歩道で少しでも止まったら景色ではなくてスマホを見たり、スマートフォンが一種の心の安定剤のような働きになっていることを感じます。

歩いて見逃している景色も、人生で二度とは味わえない1シーンなのですから、スマホも良いですがたまには顔を上げて青い空や白い雲を眺めてみても良いのではないかと思います。

私は明日もスマホを見ないチャレンジを継続してみようと思います。良かったらみなさんも挑戦してみてください。
それではこのあたりで失礼します。

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