読書感想文 谷崎潤一郎『卍(まんじ)』
こんばんは。森田名月(モリタナヅキ)です。
本日は、読書感想文の投稿です。
谷崎潤一郎 著 『卍(まんじ)』
近現代文学に触れたいと思い選びました。
あらすじ。人妻である柿内園子が、女学校で徳光光子という年下の女性と出会う。光子は容姿に長けており、園子は密かに彼女を美しいと思っていた。2人は次第に惹かれあい、お互いに好意を確かめ合う。しかし光子には綿貫という異性の恋人もいた。誰が誰をどのくらい愛し、表面上はどうすればいいのか、互いが自らの欲しい人を手に入れようと裏切り、騙しあう。最後には園子の夫も巻き込まれ、破滅に向かって愛し合っていく物語。
谷崎潤一郎の作品は、他にも『春琴抄』『痴人の愛』を読んだことがある。全ての作品に共通する、魔性の女的存在。それに振り回される周りの人々。卍では、同性愛という切り口で、性別を超えて惹かれあう人間の性欲について書かれている。
本書は、すべての事件を終えた園子が、”先生”(おそらく作者)に対して一連の事件を語るという書き口で、全てがしゃべり言葉だ。しかも、関西が舞台の話なのでかなり濃い関西弁で書かれている。しかし不思議と読みにくい、ということはなく、すらすらと読めてしまった。この関西弁がいかにも色っぽく、良い味を出している。
『春琴抄』は終盤にかけて句読点が無くなり、感情があふれ出すような緊迫感が演出されているが、『卍』についてはそもそも話口調なので章ごとしか段替えされていない。本当に園子が語っているようである。
昨今はジェンダー論が大きく展開している。ジェンダーレス、男と女で分けない、ただ”唯一の自分”という性を認めようとしている。昔から、同性愛という文化はあったのだろうが、今日ほどまで受け入れられる社会ではなかっただろう。
いつだって、魔性の女って惹かれてしまうものなのだ。私も、女性アイドルが好きだ。性的に好きというわけではないけれど、「この子かわいい」と思うとドキドキするし、ずっと見ていたいと思う。園子が光子に惹かれた感覚というのは理解できる。
光子はとんでもなかった。そんなのみんな分かっている。園子だって結構序盤で分かっているし、綿貫や園子の夫も分かっていると思う。だけれども引きずり込まれてしまうんだな!読者はもう一緒になって巻き込まれるか、「やめときなやめときな!」という目線で俯瞰的に見るかしかない!「はいはい、そうなっちゃうんでしょ!どうせね!」と薄々感づきながら、破滅に向かっていくのが待ち遠しくなってしまう感じ。読んじゃいけないものを読んでいる感じ。
なんじゃこりぁ系の小説って、妙に心にへばりつくんだよなぁ。「あれはなんだったんだろう」というところで止まってしまって、理解するとか噛み砕くとかいうこともできていない。だけど内容はなかなか忘れない。
「愛」について考えることは好きだ。神秘的な、幻想的な「愛」に触れたいと思ってきたけど、こういう人間味のある「愛」へもアプローチすることで更に「愛」の解釈の幅が広がればいいと思う。
長くなってしまいました。今日はこの辺で。おやすみなさい。