「なにやってるのっ!?」と繰り返してきたわたしに、3歳児がくれた言葉
そのとき、床に撒き散らされていたのはなんだったろうか――拭いたところで乾くと臭いのきつい牛乳? それとも、掃除機の中にたまっていたごみの山?
とにかく、割りと致命的で考えただけでがっくりしてしまうような、そんなものが、3歳の子によってぶち撒かれてしまっていたのだったと思う。
わたしは言葉を失ってそれを見つめて、ほとんど反射的に、大声で叱るための言葉を探していた。
いや、「叱る」というより感情的な「怒る」だったかもしれない。そんなとき、出てくる言葉は大抵決まっているのだ。
「なにやってんのっ!?」と。
だからきっとまた、そんなお決まりの言葉を口にしようとしていたに違いない。
――そんなわたしの顔を見てか、ぶち撒けた張本人が大きな声ではっきりと言った。
「まぁ、いいよいいよ。だいじょうぶだよ」
続けて、「あとでおそうじするよ。だいじょうぶだよ」と。
わたしは思わず、半分笑いそうになりながら、
「ちっとも大丈夫じゃないよ! 掃除するのはママだよっ」
とぐちぐち言いつつ、後片付けをはじめた。(だがまぁ実際、今こうして思い出せないくらいのものなんだから、結果として3歳児の言う通り「大丈夫」だったには違いない。)
なにを拭いていたかは忘れてしまったけれど。そのとき、手を動かしながら思ったことは、覚えている。
あぁ、きっと。怒らずに、「大丈夫だよ」って言って欲しかったんだろうな――。
子どもが物心ついてから、わたしは一体、何度「なにやってるの!?」と怒鳴ってきただろう。いや、物心つく前からかもしれない。今も、一歳児である下の子にまで「なにやってるの!?」と怒ることは珍しくない。
わたしが怒鳴った回数だけ、子どもは怒鳴られている。「なにやってるの!?」と責められている。そう思うと、なんだかとてもしんどくなってくる。
床が綺麗になったところで、「ごめんね」と3歳児の頭をなでた。
「いいよいいよ、って。言ってあげれば良かったのにね」
3歳児はもうどうでも良かったようで、ただ撫でられたのは嬉しそうだった。
次の日。
今度は一歳児が、しまってあった犬の世話用品を引きずり出し、ふたを開けて中身を全部ばらまいた。
「なにやってるの!?」――言いかけて、ふと、前の日に言われた言葉をふと、思い出した。
「まぁ、いいよいいよ」
そう呟くと、自然と続きの言葉がつむがれる。
「あとで片付けるからさ」
そう、ばらまかれたら片付ければ良い。それだけのこと。
昔読んだ本に書いてあった、「ついてないときは『運が良い』って言え」という教えと同じだ。そう口にすれば、思考停止しがちな頭が、自然と前へ向かって動き出す。そうすると、怒りや悲しみも「いや、別にそこまで大したことじゃないか」と引っ込んでしまう。
わたしの隣で、下の子がばらまいた荷物を「あーあ」と見てる3歳児に、「まぁ、良いよね」と繰り返す。3歳児も「いいよいいよ」と笑う。
とりあえず一回。「なにやってるの!?」の怒鳴り声更新をせずに済んだその日は。わたしにとって、ちょっと心にストンと落ちた日となった。