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子どもも大人も幸せになる教師のマインドセット① 人間関係編

あなたの考え方次第で、今見ている現実はがらりと変わる。

子ども達もがらりと変わる。みんなが幸せになる。

そんな教育者の最強無敵のマインドセットをお伝えします。

読んで、人生がらりと変えてください!



はじめに


こんにちは!幸せ追求教師、ニキチャコです!
今回は、かねてから書きたかった「教師のマインドセット」について書いていきます。

なぜ書きたかったかというと、これが教育活動全てに大きな影響をもたらすと、確信しているからです。

影響するんじゃないかな~?ではありません。

確実に影響します。絶対です。言い切ります。

学校だけでなく、塾、家庭、会社、人生、全てに影響します。


私の幸せ追求教育の理論は、
教育者が幸せになれば子どもが幸せになる。
子どもが幸せになれば家庭も幸せになる。
家庭が幸せになれば、社会が幸せになる。
です。


つまり、教育者が幸せであることがとても重要なのです。

なぜかというと、子ども達は、教師の思い通りになるのではなくて、教師のようになるからです。

類は友を呼ぶ。似たものが集まる。
子は親の鏡。子を見れば親がどんな人かわかる。
いろいろな言葉が物語っています。


違いを認めない家庭・学級で育てばもちろん子どももそうなります。
親や教師が完璧を求めるならば、子どもも完璧を求めるようになります。
社会は厳しいと言い伝えるならば、その子たちの未来の社会は厳しいものになるでしょう。


私は、教師自身が幸せなマインドであることこそ、幸せな子ども達を育てることへの1番の近道だと思っています。

私が行なっている「幸せ追求教育」は、マインドセットが一番重要です。

教育的取り組みは、全て思考が生み出します。
あなたが何に焦点を当てるかで、その取り組みは変わってきます。


マインドセットを整えるとは、あなたの脳が何に焦点を当てるかを決めるということ
です。

マインドセットさえ整えてしまえば、あなたの教育に関する悩みはどんどん消えていきます。

あなたは自分の力で、子どもが安心できて、わくわくする教育を行っていくことができます。

いろいろな情報に気づき、子ども達のためになることをたくさん思いつくようになるでしょう。

子ども達が安心でき、自分の可能性を信じ、自他を愛し、幸せになるような言葉をかけてあげられるようになるでしょう。

温かく、なおかつ主体的で、粘り強い子ども達を育てることができるでしょう。

それほどに、あなたの脳の思考を整えることは重要なのです。

もし幸せ追求教育の活動だけをなぞったとしても、その下に隠れる教師の思考は、言葉や行動に現れ、子ども達に透けて見えます。

「どっちを選んでもいいよ?(・・・いや絶対こっち選べよ!?選ぶよな?)」
「ありのままでいいよ。(まじやめてほしいけど・・・いいわけないやん。)」

聡い子ども達はその矛盾を見逃しません。
その矛盾が、信頼関係を少しずつ壊していきます。

ですから、思考を整え、発する言葉や行動を根本から変えていくことで、教師の言葉は、熱をもち、子ども達により響くようになります。


この「子どもも教師も幸せになる教師のマインドセット」は、あまりに情報量が多すぎるとまとめきれないので、小分けにしてシリーズ化していくことにしました。

基本的に、具体例などは学校現場を想定して書いていきます。

ぜひ、最後までお読みください!


そして、あなた自身が、幸せになってください!

今回は、人間関係編です!

あなた自身の人との関わり方が、根底から変わってきます。

同僚との関係、学級経営の仕方も変わってくるでしょう。

さぁみんなで思考を整えていきましょう!


マインドセットを整えよう


「正しさは人それぞれ」と知る


正しさとは、「~すべき」「~するものでしょ」「~してはいけない」というような考えです。

他の言葉で言い換えれば、固定観念。常識。期待。思いこみ。勘違い。となります。

「正しさは人それぞれ」と言われて、「うん。そりゃそうだ。」と思う方もいるでしょう。
「いや、世の中にある正しさ(常識)は、ある程度固まっているでしょ⁉」と思う方もいるでしょう。

ここでは、正しさを「常識」と言い換えて説明していきます。

常識とは、「大多数の当たり前」です。


あなたの中の常識は、あなたが生きてきた人生で培ってきたもの。

あなたの人生で得てきた「こういう時はこうするもの」であったり、「こんな時はこうしちゃいけない」というルール。
「こんな時はこうすべき」という経験則などで、親や教師、友達、親戚のおじさん、見知らぬ人、メディアなどから得てきた情報をもとに作られています。

あなたの人生で得てきた宝物とも言えます。

あなたが安全に、効率よく生き残るために磨いてきた判断基準です。

もちろんそれは、生きてきた環境によって全く違いますよね。


国によっても違うし、県によっても違う。
時代によっても全く違いますね。

場所が変われば、それはもう全く違います。
日本の中でさえ、言葉が通じないところもありますよね。
つまり、そこでは、言葉という常識が違うのです。

同じ地区の中でも、家庭によって全く違います。

親がどんな人生を過ごしてきたかによっても、かけられる言葉は違います。

「同じ家庭内なら、シェアしている環境は同じでしょ?」
そう思ったとしても、親なのか、子なのか、兄弟の何番目かでも、見ている世界は全く違います。かけられる言葉も、どんな捉え方をするかも全く違います。

一人として、同じ人生を歩んでいる人はいません。

あなたの常識は、他人の非常識だと言い切れます。

しかし、私達は、相手が「自分の常識を知っている」と思って関わることが多いです。

自分の常識は、他人の常識でもあると勘違いして関わります。

勝手に発言する人に対して「いや、発言は手をあげてからでしょ!」

逆に手をあげて発言する人に対して「いや、なんで手をあげているの?勝手に発言すればいいじゃない。」

トイレに行っていて遅れてクラスに入ってきた子に対して「普通、『遅れてすいません』だろ!」と怒鳴る。

泣いている子を傍観している子に対して「こういう時は励ますものでしょ!」といったら、「(いや、今は絶対話しかけられたくないときやろ・・・⁉)」って思ってるかもしれない。

人それぞれ経験している出来事は違うし、同じ経験でも捉え方は違う。

自分が信じている常識を、相手は全く知らない可能性もかなりあります。

なのに、知っていることが当たり前のように錯覚して、相手に当てはめる。

そこで、いさかいが起こり、争いが起こる。

クラスの争いも、国同士の戦争も、全てこの正しさのせいです。

自分の正しさ、常識を疑うことがとても重要です。

子ども達が経験している体験の数は、親や教師と比べると、ものすごく少ないです。当たり前ですね。生きてきた時間が違いますから。

我々が「こうするもんでしょ!」と思っていることは、私達が人生をかけて培ってきた正しさです。

それを「もちろん知っているよね!?常識でしょ?」と子ども達に詰め寄るのは、明らかにおかしいですよね。

子ども達は、彼らの経験の中で、自分が効率よく生きていくための常識を学んでいくのです。

大人、教師としてもちろんアドバイスはしますよね。

しかし、自分とは全く違う人生を生きる子ども達(他人)に、自分の人生の常識が通用するかどうかは全く分かりません。
「こうするものだ!」って、子ども達に理由も説明せずに、私達の常識を刷り込むのは、実におかしな行為です。

少なくとも、「私はこんな経験をして、こうするのが大切だと気づいたんだ。」と説明して、「みんなはどう思う?」と、情報として入れていきたいところです。


私達はみんな、正しさに縛られています。

そうでなければ、生きていけないからです。

もちろん私も縛られています。

ですから、「『私達は正しさに縛られている』ということを知っている」ことが、とても重要になってきます。

そのことを知り、納得していれば、正しさを押し付けることはなくなっていくでしょう。


「私達は分かり合えるわけがない」と理解する


「私達は決して分かり合えるわけがない!」

こんなことを言われたら「えぇぇぇぇ・・・・・」って、絶望しませんか?

しかし、これは事実です。
実は、科学的に考えれば、当たり前のことです。

「私達は、きっと、分かり合える・・・!」なんて言葉を今までに何度も聞いたような気がしますが、本気で、相手の気持ちの100%を理解することは今の科学技術では不可能です。


それはなぜでしょうか。


私達が他人の体に入り、他人の脳を使い、他人の人生をそのまま生きる。
そんなことができれば、相手の人生を追体験し、その感覚を100%感じられます。
しかし、それは不可能ですよね。

人生すべての記憶や感覚にまつわる情報をICチップにダウンロードして、脳から直接情報を体感できるようになれば可能かもしれませんが、まだ先のことでしょう。(これはおいといて。笑)


あなたの脳は、外からの刺激を電気信号に変えて、脳で情報を統合し、あなたが今見ている現実世界を作っています。

このnoteの象徴的な緑色を見て、青緑に見える人もいるし、深緑に見える人もいる。茶色に見える人だっているでしょう。
茶色に見える人にとっては、茶色こそ緑です。

モスキート音が聞こえる人もいれば、聞こえない人もいる。

味に敏感な人もいれば、そうじゃない人もいる。

細胞の作りや脳に伝わる電気信号によって、私達が見ている現実もそっくり変わります。


私達は、この体をアンテナにして、情報を受け取り、脳内で再生しているだけです。

「気持ちがわかった」「共感できた」と言っているけれども、それは似たような体験と照らし合わせているだけです


「叩かれたら嫌でしょ!?」
「う~ん・・・嫌じゃない・・・(僕は痛かったことないし・・・(^^;)」

「〇〇だなんて!あなたが言われたら嫌でしょ!?」
「・・・(家では普通に言われるんだけどな。嫌とかないな~・・・(^^;)」


そっくりそのまま、私達が感じていることや言っていることが、相手に伝わるわけがないのです。

あなたの思いを100%理解してくれる人なんていません。
あなたの体験した思いの100%を相手に伝えることはできません。
それは絶対に不可能なのです。


こんなこと言われたら、正直がっかりですよね。
絶望してしまいそうです。



では、私達はどのようにして思いを伝えているのでしょうか。


その答えは、言語です。

私達は言語を介して、感情や思いや体験を伝えています。

「手話」や「ボディランゲージ」なども言語ですね。


しかし、言語も不完全なものです。


同じ赤と言っても、無限に赤はあります。
ある人は赤と言う色も、ある人には茶色であり、ある人にはオレンジだったりします。

ただ「悲しい」と言っても、大事なお皿を落として割った「悲しい」なのか、愛する夫を亡くした「悲しい」なのかでは、全く違うはずです。

伝えようとする気持ちを100%表現できる言葉はないし、表現することも不可能です。

人それぞれ全く違う現実を、とても不完全な言葉で説明し、相手に伝えて交流する。

画像の解像度を落として、またその画像の解像度を落として・・・とした上で、「これは何の写真かわかる?」と聞くようなものです。
ほぼモザイクのようになってしまいますから、理解するのは難しいですよね。


だからこそ、映画のように映像が浮かんでくる物語を書ける作家さんは、たくさんの人の人気を集めるのでしょう。

しかし、どんなに卓越した表現力を持った作家さんでも、その人の脳内にあるものを100%伝えきることはできません。
 
私も含めて、そのような表現力の育っていない私達の気持ちや考えの100%が伝わるわけないし、本来の意図とは違った伝わり方もします。


「私達は分かり合えるわけがない」とは、こういうことです。
 
 
コミュニケーションは難しい・・・
しかし、私達は言語を使うしかない・・・

だからこそ、しっかりと言葉にして伝えあうことが大事だし、学校ではお互いに気持ちを安心して伝え合える環境が必要ですよね。

「分かり合えるわけがない」ということを前提にしていれば、どうやったらうまく伝えられるか、コミュニケーションできるか、そのために言語について学ぼう。気持ちを伝える言葉を知ろう。いろんな表現を学ぼう。という国語の大めあてにつながっていきます。

このことを知っていれば、もめ事が起きたときに私達がすべきことは、冷静に話を聴いて、お互いの正しさのすり合わせを行い、言葉を介して相手のことを少しずつ理解することを手伝うことになってきます。

子ども達にも「分かり合えるわけがない」ということを共有しておけば、そういった建設的な話し合いが自分たちでできるようになります。

「どういう気持ちだったか教えてくれる?良いとか悪いとか決めつけないから。何を考えているのか知りたい。本当に全くわからないからさ。」

「あぁ~・・・そう思ってたんだ・・・納得~。全くわからんかったわ。ごめん。というか、話してくれてありがと。知れてよかった。」という感じです。

私達も、子ども達も、誠実で素直になっていきます。

もめ事の仲裁の時には「あ~、〇〇って正しさと◇◇って正しさがぶつかっているのね。なんでそう思ってるの?なるほど。あなたは?なるほど。お互いに理由までわかった?知れてよかったね。また一段レベルアップしたね。」と、とても前向きに話し合いを整理できます。

言いたいことがうまく伝わらない時も、「なんで伝わらないのよ!馬鹿なんじゃないの!?」ではなく、「う~ん。伝え方未熟!もっと精進しないとな!」ってなります。

「私達は分かり合えるわけがない」と理解することは、学校教育において、また人と関わる上で、とても重要な考え方です。

この思考がベースにあれば、お互いに建設的な話し合いができるし、何のために学校に来てみんなと学んでいるかという目的意識を持つことができます。


「私達はどこまでいっても、みんな不完全。」と諦める


「諦める!?それでいいのか!完璧を求めなくていいのか!」

そう思われましたか?


『諦める』って悪い意味で使われますけど、もとは「明らかに見定める」という良い意味でした。

物事をありのままに受け入れるということです。
実は非常にポジティブな言葉なんですよね。


つまり、「私達は不完全。」と納得して受け入れること。
この思考が重要です。



あなたは完璧な人間ですか?

私は、完璧ではありません。

私達は完璧ではないからこそ、まだ到達していない完璧を目指すことができるわけです。

逆に言えば、私達は常に不完全なのです。


完璧を目指すのはいいです。


しかし、自分にも、他人にも、完璧を求めるのは、土台無理な話だということがわかります。


完璧な自分しか許せない?
完璧なキャリアしか許せない?
完璧な見た目しか許せない?
完璧な親じゃないといけない?
完璧な教師じゃないといけない?


そんなの無理
です。


あなたが自分に対して、完璧を求めるのならば、教師として関わる子ども達、同僚、保護者にも完璧を求めるでしょう。

人間は皆不完全なのに、完璧じゃなくてはいけないと言われる、そんなクラスになります。

「宿題を忘れない」と約束した次の日に忘れてしまった子に対して、「約束したよね!?約束は絶対でしょ!!」と叱るかもしれません。

人間は不完全だと知っている人は、「そんなこともあるよね〜。何か学べた?どうしたい?」と感情的にならずに受け入れることができます。その子を否定することなく、経験として受け入れ、この結果をどう捉え、次の行動にどう生かすか、を考えるので、責めたり人格否定したりしません。

このような先生のもとでは、子どもも安心して生活できます。

もちろん、忘れない方が良いとは思いますけどね?笑

職場に置き換えたらよくわかります。
ミスを徹底的に叩かれる場所は、居心地がいいでしょうか。

意見を言いづらい同僚や上司には、イライラを募らせるでしょう。

常にカリカリして、イライラしているかもしれませんね。

自分が失敗してしまった時には、必要以上に落ち込むかもしれません。

子どもの前で、完璧な教師でなければいけないならば、子どもに間違いや勘違いを指摘された時、恥ずかしさを隠すために「偉そうに何を言ってる!」と言い返すかもしれません。


みんな不完全だと知っていたら、自分も不完全だと認めます。
「はは!やっちゃった😅ありがとう教えてくれて。どんどん教えて先生を助けてくれ!」と、間違えることを前提に、子どもと一緒に助け合っていく姿勢を見せることができるでしょう。

そんな不完全な先生であることが、子ども達にとって安心できる学級、学校のもとになります。

みんな不完全だから、誰かの長所で誰かの短所を補おう。助け合おう。


完璧だったら1人でなんでもできちゃうけど、不完全だからこそ、私達は関わり続けられる。
助け合える。新たなことを学べる。
新たなアイデアを出せる。
あぁ学校っていいなぁ。友達や先生と関わるって、やっぱりいいなぁ。
そう実感できるようなクラスになります。


私達は不完全だからこそ、お互いに補い合って生きていけるのです。
だから、完璧である必要はないのです。


不完全のままが人間。
それでいい。いや、それがいいのです。


また、「みんな不完全」だと思っている人は、迷惑をかけることもあるけど、迷惑をかけられることも認めます。

生きていれば迷惑かけるし、迷惑かけられる。
そんなこと当たり前だと知っているんですね。


迷惑かけられても、「全然大丈夫!お互い様ですよ。自分の時は頼みます!」と相手の不完全を受け入れ、助け合えるのです。


完璧でなければいけないという考え方は、もちろんいいこともたくさんあるでしょう。

しかし、人間関係においては、ギスギスしたり、イライラしたり、周りの人は安心できなくなることが考えられます。

みんな不完全であることを受け入れたら、自分も相手も楽に過ごせるようになります。

こうするものだ!という正しさから解放されて、「そういうこともあるよね〜。じゃあこれからどうする?」と瞬時に切り替えて、未来のことを考えることができます。

安心できる学級、学校にしたいなら、このマインドはとても重要だとお分かりいただけましたか。


私は、教師は子どもの前で不完全なところを積極的に見せていくべきだと思います。

その上で教師が自分の不完全な部分をどう捉えているか、どう対処しているかなどを見せていく方が、子ども達のためになると私は考えています。


 

「みんなその人自身にしか分からない地獄を生きている」と知る


私達は不完全で、生きてきた人生も、見ている世界も全く違う。

脳の仕組みを考えても、私達は全くの別世界で生きていると言っても過言ではありません。

私にとっては何ともないことが、あなたにとってはものすごく辛くて苦しいことかもしれない。

逆に、あなたにとって当たり前のことが、私にとっては叫びたくなるほどに辛いことかもしれない。


子どもがおもちゃを買ってもらえなくて、床で転げまわり、涙を流しながら、体中でその辛さを表現しているとき、私達は「そのくらい我慢して!」「言うこと聞かないなら先に行くよ!」なんて言ってしまうこともあるかもしれません。


しかし、その瞬間その子が感じている辛さは、体中で表現しなくてはいけないくらいの辛さです。


どんな痛みでしょうか。私は経験があるので、なんとなくわかります。
私の場合は、何とも言えない胸の痛み。本当に、それは「痛み」なんです。


経験がなければそのようなことは分からないのです。
決してその感覚を知ることはできません。

だから、「そのくらい大したことないでしょ?」と相手に対して思うことがあっても、その人にとっては「そのくらい」で済まされることではないのです。

「人前が恥ずかしい?いやいや、やってたら慣れるって♪」
そんなこと言われても、他人の視線、自分がどう思われるか、変に思われたら生きていけない・・・のどが渇く・・・声が出ない・・・息ができない・・・・・・

その人にとってはとても苦しい時間です。
その人にとっては、その人にしか分からない地獄があるのです。

そんな中で、生き残るために培ってきた正しさを使って、どうにかみんな生きています。

そのことを心から理解している人は、どんなことがあっても、相手の辛さを、自分よりも軽いものだなんて思いません。

苦しみ、我慢して頑張っている人に、「そのくらい普通でしょ?」ではなく、「この人にとっては本当にしんどいことなんだよな。よく頑張ってるな。」と思えます。

気持ちの表現の仕方が苦手で、手を出してしまう子がいたとき、もちろん手を出すことは良くないけれど、「手を出さなきゃいけない理由があるんだよな・・・もやもやして、手を出したら怒られて、どうすればいいんだよって思うよな・・・今までも怒られてばっかりで、気持ちも伝えられなくて、しんどかったよな・・・」と寄り添いの心をもつことができます。


言い方にとげのある同僚に対して、「あぁこんな言い方しなきゃいけない人生を歩んできたんだな。自分を守らないといけない人生だったんだな・・・苦しかっただろうな・・・しんどかっただろうな・・・」と、慈愛の心を持つことができます。


どんなに恵まれた人でも、その環境において、苦しいことは必ずあります。

それを乗り越えて、または今、その苦しみに直面しながら生きています。

褒められてばかりいた人も、「褒められない私は私ではない。私はいつでも褒められていなければ。みんなより秀でていなくては。」という正しさに縛られて、他人との比較に苦しんでいるかもしれません。

学校や仕事場では明るく振舞っている人も、家では苦しい思いをしながら、生きているかもしれません。

私達には、それがわからない。分かり合えるわけもない。

だからこそ、「みんな不完全で、その人にしか分からない地獄を生きている」と常に思っておけば、自分に対しても、相手に対しても優しくなれます。


自分以外の他人は、自分の生きてきた常識が全く通用しないような別世界で生きているのです。

この視点を持てば、周りの人に対する見方が変わります。

自分の常識を、正しさを、相手にあてはめることも少なくなります。

どんな状況であっても、穏やかな優しい心でいられます。


落ち着かない学級に入ったとしても、「なんでこのくらいのことができないんだ!?」ではなく「あぁこうならざるを得ない人生を送って来たんだな。そうしなければいけなかったんだな。」と思えます。


教室に入れない子に、「頑張れば行けるやろ!」ではなく「入れない理由があるんだよね。そりゃ入れないよ。よく学校まで来てくれたね。」と言えます。


勉強をしない子達に対して「なんでちゃんとしないの!?中学校行ったら困るよ!?」ではなく、「したくない理由があるんだよなぁ。そりゃ手を付けられないよ。よければ、その理由を教えてくれる?」と受け止められます。
このように、相手の送ってきた人生に、体験してきた苦しみに思いをはせ、尊重し、共感することができます。

今の現状を作ったその原因に意識を向けることができるようになります。


私がなぜここまで、原因(理由)の部分にこだわるかと言うと、「人の行動は、自分の意志ではなく、脳の無意識が自動的に行っている。」という理論に納得しているからです。(※心理学的決定論)

つまり、言葉よりも手が出てしまう子は、無意識が「こうするものだ」と学んで自動的に行っているに過ぎないということ。「こういう時は手を出すべきだ」と脳の無意識の部分が学ぶような経験が、今までにあったということなのです。


「そういう人生を送って来たんだな」
人間関係でモヤっとしたり、イラっとするような言葉を言われたときにも、この言葉を言えば、その感情は自然と慈愛の感情に変わってきます。

「みんなその人自身にしか分からない地獄を生きている」ということを知っていることは、人間関係における心の安全装置となります。

自分がカッとなる前に、その心を落ち着かせることができます。

学級の子ども達は、自分の物差しでしか測れない大人よりも、いろんな人に合わせて柔軟に対応し、自分の気持ちを受け入れてくれる大人に頼って生きたくなります。

私達は分かり合えるわけがない。逆に言えば、みんな孤立しているということです。
だからこそ、寂しいから、自分の気持ちをどうにかしてでも分かってほしい、とも思いますよね。
それが負の感情であっても、その気持ちを受け止めてくれる先生を、子ども達は信頼します。

学級、学校が安心できる場所であるかは、先生たちの考え方が大きく関わってくるのはいうまでもありません。

周りの大人を見て、子どもは育ちます。
私達がそうであったように。


教師がこれらのマインドを持っていれば、自然と言葉が変わっていき、その言葉を子ども達に与えるようになります。


その与えた言葉をスタンダードとして、子ども達は成長し、またその言葉を次の世代へ与えるようになっていくのです。


このようにして、慈愛に満ちた優しい教師の下で、温かく優しい子ども達が育っていきます。
 
 

まとめ


正しさは人それぞれ。
だから、自分の価値観を押し付けない。

私達は分かり合えるわけがない。
だから、伝わらなくても仕方ないけど、言語を使ってコミュニケーションをとる。

私達はどこまで行っても、みんな不完全。それでいい。いや、それがいい。

みんなその人自身にしか分からない地獄を生きている。
みんなそれぞれの世界で苦しんでいる。

これらのマインドセットを何度も何度も思い出し、口に出していけば、あなたの無意識がそれを学び、脳のシステムに組み込んでいきます。

このようにして、脳の無意識をつくりかえていきます。

人間関係において、悩むことがぐっと減るでしょう。

イライラしても、すぐおさまるでしょう。
イライラしなくなるかもしれません。

同僚や、子ども達の見え方が変わるでしょう。

あなた自身が、また子ども達がより穏やかで優しくなるでしょう。

そんなあなたと関わることで、周りの人も安心したり、癒されたり、ハッと気づかされる人もいるかもしれません。

あなたを起点に、やさしさの波が広がっていきます。

人間関係において、いろいろなことがうまくいくようになるはずです。


そして、考え方のベースが変われば、学級経営ががらりと変わります。


みんな不完全で、分かり合えるわけがない。
みんなしんどい思いをしているかもしれない。そのことを常に考えておこう。
みんな違うからこそ素晴らしい。
お互いの短所を長所で補い合って、1人じゃできないことをやっていこう。


この考え方がベースにあれば、お互いのありのままを認め合い、良さに気づき、補い合って高め合う。そんなクラスになります。

教師も子どものびのびと安心できる場所になります。


終わりに


今回は、人間関係に関するマインドセットについて、ご紹介してきました。

いかがだったでしょうか。

思考を変えたところで、目に見える変化はそんなに現れないだろう。と、思われる方が多いかもしれません。

しかし、それは間違いです。
なぜなら、思考が目に見える現実を作っているからです。

あなたの見ている世界は、あなたの脳が都合の良いように取捨選択してきた情報をもとに作られています。

あなたが注意を払っていることに関する情報を優先して見つけるように、あなたの脳はできています。

つまり、あなたの思考を整えることは、あなたの見ている世界を変えることに直結するのです。


教師として、あなた自身が幸せになり、自分自身が愛で満たされ、あふれた愛で優しい言葉を与えたり、態度で示したりすることで、子ども達に幸せな考え方が伝わり、しみこんでいきます。

そのために、私達のマインドセットを見直し、整えていくことがとても重要だと私は考えています。


「正直、この考え方抵抗あるなぁ・・・」と思われた方もいるかもしれません。しかし、それは正常な反応です。

私達の体は、変化を嫌います。汗をかいたり、体を震わせたりして、体温を保ったり、病原菌が入ったら追い出したり、今の体の健康を維持することに集中します。これは生き残るための体の基本的なシステムです。(恒常性維持機能(ホメオスタシス))

思考も同じです。変えようとすれば、脳による大きな抵抗にあうでしょう。
「なんか嫌だな・・・」と思うのもその一つです。
できることなら変わりたくない。それが脳の本音です。

それでも変わりたいとあなたが思うなら、何度も何度も頭の中で意識して、口に出して、その言葉を耳で聞いたり、誰かに説明してアウトプットしたりして、あなたの脳の無意識の部分に刷り込んでいくことが大事です。

強い意志をもってそれを継続すれば、それは習慣となり、あなたの無意識に刻み込まれ、当たり前になっていくでしょう。

何度も何度も口に出して、他人に説明して、アウトプットして、「あれ?この言葉どこで聞いたんだっけ?自分で思いついたんだっけ?」となるくらいあなたの言葉にしてください。

そのころには、人間関係でのトラブルはなくなっていると思います。

ぜひ、あなたのマインドセットを整えて、幸せになってください。

あなたが幸せになれば、あなたの周りの人たちも幸せになります。



あと3回か4回に分けて、この「子どもも大人も幸せになる教師のマインドセットシリーズ」をお届けしていきたいと思います。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

まさか小分けにしておきながら12000字超えるとは・・・自分でもびっくりです。笑


納得しました!
勉強になったなぁ!
とてもいいと思う♪
やってみますね!
どんどんいったれ!
続きが気になる!もっと教えて!
マインドセット整えていきまーす!

と、思ってくださった方はぜひスキしていってください!とっても励みになります。


感想などもコメントしていただけたら泣いて喜びます!

次は、あなた自身が確実に幸せになるためのマインドセットを書いていく予定です。

楽しみにお待ちいただければ幸いです。


みなさんの幸せを心から願っています!
(ちゃんと神社でもみなさんの幸せを願いましたよ!)

幸せ追求教師ニキチャコでした!まったね~!(^o^)/



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