判断力
この世の中、たくさんの情報があり過ぎて何を選べばいいのかわからない、
ならばみんなと一緒が無難と考える人がほとんどらしいです。
今回の兵庫県知事選、恥ずかしながらあまり関心のなかった私ですが、テレビ、新聞で耳にすること、読むことでなんとなく違和感を感じていました。
SNSでは溢れんばかりの情報。ほとんどが信用してはいけないものと思い込んでいるところもあって。
「どうして○○しないのだろう?」「本当にそれが原因?」ともやもやの中。これが100パーセントの正解はないにしてもいつもより意識のある投票となりました。
自分の判断力、私の場合直感が幅を占めていますが、それもいろんな場合、様々な人間関係、読書や吸収したあらゆるものから生まれたものだ
と思っています。
荒波を立てない生き方を選んだ友達は何しろ自分の意見より他人の考え方、物の選び方に賛同してあの人が言うならと安心するそうです。彼女はやはり大きな組織に信頼感を抱くことがあったそうですが、同じように?。
この年になって地元の事、少しは考えた一件だったとLINEに記されていました。
本当に頼れる人がいることを素直に幸せととるか、その中に自分が存在しないことへの何か物足りなさを感じるかはそれぞれですが、その頼れる存在が例えば家族であってもパートナーであっても無二の親友であってもいつまでもそばにいてくれるかはわかりません。ましてや知ったかぶりの多い私たちの年代。今更ながら考えさせられる秋になりました。
先生の言うことは絶対!おまわりさんの、両親のと言う神話は今や遥か昔の事。やはり所詮人間、間違ったり悪いことも…。それはその立場の人たちがみずからとった行動が問題を起こすことで自滅した成れの果てのような…。
子どもも小さな時は親の言うことに従って、又嫌々ながらその通りにしていても大きくなってくると真っ向から意見を言ったり従わなかったり…。それはそれで一人の人間として成長した証なのですが、特に母親は天下の宝刀?「あなたのために言っているのよ!」「親の言うことを聞きなさい。」と一方的な言葉をしばし持ちだします。
それは安全な道を歩んでほしいという親心に間違いはないのですが幸せへの道だとは限りません。果たして正解なのかどうかもわかりません。
それに反発するころ、その子供に判断力と言うのが育っていれば違った考えも生まれてくるのは当然の事。
完ぺきではない人、未熟な人間の中でみんな生きているのですから、自分の経験値を高めていろんな角度から物事を決めていくことが必要になってきたように思います。
狭い価値観のまま年を重ねると違った結果に対して人のせいや世の中の!となり不満だらけの生活になりかねません。
まだまだ未熟な思考力や判断力は今からどれくらい高めていけるのかとちょっと楽しみなこれからとなりました。
今朝は優しい雲が丸くなったり細く引きちぎれたりと、それでも のどかに動いて行きました。なんと数秒ですが山々の連なりをぜーんぶ囲むぐらいの大きな弧を描いて虹が生まれていました。
ニケはそこかしこの草の匂いを嗅ぐのに一生懸命で、私 ひとりその何とも美しい色の帯を眺める朝となりました。
今日もいい日にしましょう!