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昭和の大晦日

夕方ごろには大掃除も終わり真っ白な障子から温かい冬の光が差し込んでいます。和紙を通過することでいつもの部屋にはなんとも清らかな空気が漂っているようでした。

縁側に出て秋田犬のフジの頭をなでていると「寒い寒い‼早く閉めて。」と言われてしぶしぶ。ちょっと名残惜しそうなフジですが、大きな火鉢で膨らむエビや、黒豆、ヨモギの誘惑に負けました。

おとなたちも一服。これでいい正月を迎えることが出来ると言わんばかり。
毎年今日と明日でそんなに変わるものかと不思議でした。
新年を迎えるということがどれほど当時の家族にとっては大切なことだったかおとなになってからわかりました。

出来上がったお正月料理がテーブルに所狭しと並んでいて壮観ですが、これを三が日毎日食べるのかと思うと子供にとっては?というところでした。

家によっては大晦日の夜からおせちでお祝いするところもあれば元旦に神棚にお神酒を供えるところからのおうちもあり自分の家とみんな同じだと思うのは小学校に上がるまでのしばらくだけです。

当時は元旦の朝はひっそりとしていて、初詣に行く人が動きだすまで静かでした。三が日はお店も休みで町全体が扉を閉めたような寂しさもありこれが清らかなというのかと区別がつきませんでした。

お節料理が只々三が日のお店が開くまでの備蓄品のような気もして晴れやかなのはこどもも大人も晴れ着を着ていることぐらい。お昼辺りからぼちぼちと年賀のお客さんがやってくると今までの静けさを池の氷を割るように、人の話す声や笑い声、食器の音、いそいそと料理を運ぶ母親たちで息を吹き返したかのようでした。

寒くても子供たちは外に出て…。それは窮屈な晴れ着から解放されたい一心です。羽根つきは盛り上がるゲームの一つで負けず嫌いの私は顔を汚さないように必死でした。従兄はいつも墨で真っ黒になり叔母さんに「せっかくオニュー(新しい)を着せても値打ちないわ!」と叱られていました。

そんな従兄を見て「彼は今年も叱られる一年になった。」と恐ろしくお正月の過ごし方を子供たちは気にしました。それはひょっとしたら私だけだったかもしれませんがその一日をいいことで終えれば一年が安泰!みたいな。始めよければ終わりよし!と信じていたのです。

二日目からはおとなたちは年賀状を見たりテレビを見たりと日頃できないからなのかあまり動きません。「食べ過ぎた―飲み過ぎたー。」は若い叔父の毎年のセリフでした。

我が家のお雑煮はすまし。透明な出しに焼いた丸餅、かまぼこ、三つ葉。焼きアナゴ、のあっさりとしたものでした。
結婚したら今でも本当に美味しい味にたどり着いていないような白みそ仕立て。大根、ニンジン、小芋に焼き豆腐、丸餅は焼かずに。ホワイトシチューみたいとびっくりしました。

義父母も主人も我が家の雑煮に驚いて隣の県であっても、家族によっても違うモノなんだと知りました。

同じ大阪に嫁いだ妹は、「うちはおすましで、まだその味に慣れないし、やっぱり雑煮は白みそよね!」と実家のお雑煮を美味しそうに食べていました。そうやって家庭の味もミックスされていくのだと何かわかったような結婚したらそのうちの家族になるのだと思える光景でした。

さて息子のリクエストは白みそのお雑煮、「これだけは続けてよ!」と普通は口出ししないのに譲れない?事らしいです。最近、おすましも美味しいとわかったらしいですが、それは普段からリクエストしてきます。

きっと父と食べた白みそ雑煮の思い出は私が思うより濃くて温かい味なんでしょう!

今、そんなことを思いながら大根、ニンジンの拍子切りをしています。

沢山のnoteで出会った皆さん、いろいろたくさんの刺激を頂きました。
ありがとうございます。

来年もnoteでお会いできることを楽しみにしております。

来年もいい日にしましょう!




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