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私にもハタチの時がありました

もう半世紀前のことだなんて!本当に早いものです。

子供たちの二十歳のお祝い、成人式は息子は東京暮らし。友達とわいわい騒いだのでしょう。「無事終わりました。ありがとう!」と電話がありました。「お祝いは夏休みに帰ってきたときにね。」

娘は自分で美容院の予約から送り迎えは今の旦那さんに来てもらって段取りのいいこと! だったことは覚えているのですが、娘も予定がいっぱいで、成人式をむかえたことを仏壇で報告している姿が残っているくらいです。

私の時はすでに訓練生を卒業して、仕事が楽しくて仕方がなかった時です。
何ヵ月かに1度、国内線に応援フライトがあって、成人式の日は団体旅行の便でした。

伊丹空港から乗り込んできたのは関○学院の大学生。関西弁が嬉しくて…。
何やら賑やか!同年代と見るや色々話しかけてこられました。
私の同窓生も何人も同大学に入学していましたので話が弾んだのを覚えています。

 大学に進むことと仕事、どちらを選ぶかに時間はかかりませんでした。

ちょうど高校卒業でも可という小枠が出来ていたのでなんのためらいもありませんでした。それまでは短大以上という条件があったのですが、ラッキーなことにそれが決まったのが受験寸前。四年間というのは待ちきれない年月でした。「ラッキー!」夢が叶うかもしれないことがそう遠くでないことに歓喜しました。

彼らはまさか同い年とは思っていなかったみたいでした。それに同郷とあって必要以上にコールボタンを押して「ジュースをください」とか「雑誌が読みたい」と東京までの短い時間も大忙しでした。

まだまだ若い人が海外に行くことはめずらしく、どーっと世界に飛び出すようになったのはもう少ししてからのことです。

徐々に日本は景気の良い時代に入っていました。若い時に世界を見る!その土地の風景を見てその国の空気を吸うことはいろんな刺激を受けます。観光地に行くのもいいですが、日本以外の国に行くことで日本の良さが分かり、和食のおいしさをありがたく思うという人がたくさんいました。

海外からの帰り便は久しぶりの和食、日本語を聞いてほっとしたというお客様は着物姿に拍手さえ…。そんな時代でした。

トイレで着物に着替えるという任務⁈祖母や母がつったっているだけの私の周りでかいがいしく帯を結んだり、帯揚げを整えたりとまさに着せ替え人形状態だったのですから、何回もストップウオッチ片手の職員のおじさんが待ち構えるトイレと同じ大きさの箱の中での練習は、苦戦の連続でした。

「そんなこともあったよね。」と思えるくらい早く着替えることが出来るようになって、カートを押している自分がいて、搭乗口付近で着物でお迎えするなんて…。

と、私のハタチはこれが青春そのもののように感じた時期でした。

成人式が成人の…となり18歳もおとなの仲間入り。お酒は飲めなくてもすでに始まっています。これからが自分で作っていく道。
昨日は輝かしい未来を影ながら応援!と振り袖姿の女性たちを見送りました。

今日もいい日にしましょう!




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