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テセウスの船もいいもんだ

「行く川の水の流れは絶えずして元の水にあらず」

ギリシャ神話のテセウスは人の名前ですが、クレタ島に住んでいる怪物を成敗したアテーナイの王、国民的英雄です。その時に乗っていた船は大勝利を記念して、長く受け継がれることになったのですが、老朽化に伴って新しい建材に変えていったところ形は同じでもすべての部品は新しいものになってしまったことを、同じものとして認めていいのかと言うことです。

日本の神社仏閣も、建立された時からの長い年月、何度も手直しがされています。身近な自分の家であってもある程度するとあちこちがいたんできてその都度手直しするわけですから同じです。

しかし時代ものにこだわらなくともその当時の匠が、最先端の技術で作ったという真実は変わりません。それを目の当たりにすると、只々「昔の人はすごいなあ」と感心するばかりです。

人はずーっと続くものはない。永遠は幻と頭では分かっていてもそれを認めることがなかなかできません。そうであってほしいという気持ちは儚いものに対する叶わぬ期待とあがきかもしれません。

受け継がれるべきはそれに愛情が注がれて作られたという、形には見えない当時の人の心意気だと思います。

それを何とか残そうと思うことが大事であって、物体そのものはそれを具現化しているにすぎません。

昔の人をしのんで受け継いでいく。

老舗の受け継がれて数十年の「たれ」もレシピが残っているものは少なく、火加減などの様子を見ながら順序を教えられながら作ったとしても当時と同じ調味料ではありません。受け継いだ人の五感,味覚も違うわけですから、多少なりとも新しい味になっています。しかし初代が苦労を重ねて完成したその「たれ」にはほかがまねすることが出来ない「すごみ」があります。それを繋ぐのですからあとを行く人の方が何十倍もの苦労があるかもしれません。

さすが老舗!と思っても、その当時のを知らないわけですから、只々受け継がれてきたという歴史を味わうということかもしれません。

新しいものに生まれ変わってもありがたいと思えるか、これは偽りであるとするかは人それぞれですが、永遠はなくてもすべての物は、脱皮し生まれ変わる。進化しているととればまたものの見方も変わってきそうです。

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