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昭和のごちそう

祖母が現役主婦のころ多くの家庭は何かあるとみんなが集まって大宴会。
それはお祝い事や法事。もちろんお正月とおとなのイベントに付き合わされました。別にそれが普通で、母や叔母たちが台所で食事の支度に忙しそうに動いてましたが、私も小さな椅子を置いてもらってまな板と包丁!持たせてもらいました。自然とその中に入ることで、ほうれん草のゆがき方や野菜の切り方を教わりました。それはおままごとではなく真剣勝負⁈「気をつけてね!」「すごーい、上手上手!」といろんなところから声がかかりました。支度が整って祖父や父、若い叔父や従兄が集まってきます。

昔は氷冷蔵庫。二つ扉の上は大きな氷の塊。ビールも今のようにキンキンに!とはいきませんがやはり乾杯には泡が必要!必ず父が私に泡をなめさせました。たいして美味しくもないのですがその姿を見てなぜか父はご満悦でした。すこし口をつけると呑んべいの祖父もなぜか目を細めました。

母たちはそんなことをしたら酔っぱらうと、いい顔をしませんでしたので、そこで小さなイベントはおしまいです。そのせいかなのかお酒は嫌いではありません。

大勢が集まるとごちそうはすき焼きに決まっていました。二つの鍋は若者の席と長老たちの席の真ん中。おのずと分かれていましたがみんな楽しそうでした。この時とばかり従兄はすさまじい食欲を発揮しました。

その時は父が元町までお肉を買いに行きました。卵は新鮮な赤。なぜか白より赤の方が高級だったような…。東京ネギや菊菜、玉ねぎに白菜。糸こんにゃくに焼き豆腐もちろん大判のお肉です。

私は味のしみた麩が大好きでしたが、よく似た脂の固まりを口にして出すに出せずそれからは慎重に見るようになりました。

私のすき焼きの思い出はそれです。

食後はトランプやかるた、こどもたちはなんにでも真剣でした。

おとなたちの宴会は夜遅くまで続きました。
叔父は必ずユーハイムのバウムクーヘンのお土産です。

人数分に切ってわけるのですが包丁を持つ叔父も見つめる子供たちも真剣!
少しでも大きいのをと…。でも本当に均等に分ける叔父をすごいと思いました。

たまにすき焼きを食べたくなります。
今では気楽にコンビニ弁当でもありますが、私にとってはやはりいつまでもごちそうです。

今日もいい日にしましょう!






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