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いつもの朝

明けるのが遅い冬の朝。暗闇と光のはざま。凍結していないか気にしながら坂を下ります。

ニケは後ろの私を時に振り返って並ぶぐらいになるまで待ってくれます。
寒い日が続ついた日の挨拶は「寒いですねえ。」「風がきつくて…。」と。
何組かの犬と飼い主はいつもと同じです。

やっと白みかけた空にそこだけ白々と居残っている月はいびつで知らぬ間に空に溶けてなくなります。

先日の阪神淡路大震災の追悼式。忘れかけた記憶と同時にあの時の自分の事。30年も前の事なのに昨日のように心の中に居座っています。
親子三人になって3年目。これでもかと降りかかった災難でしたが、家は残った、会社も無事。何よりも三人無傷で助かった。

あの時から生きることへの考え方が変わったように思います。

何組かの家族がぽつんと立っている我が家に束の間の居場所をと頼んでこられました。それぞれに被災した時の様子は違っていても今は先のことは考えられず、只々その日を過ごすのみの生活でした。

ある程度日が過ぎると親せきの家に、実家にと離れて行きました。
家の中はかたずけるには物が散乱していました。居場所はほぼダイニング。大きすぎると思っていたテーブルの下。その時は助かりました。少し揺れがあると慌ててそこに逃げ込みました。

ある日義姉夫婦が吹田市から何時間もかけてお水と食料を持ってきてくれました。義姉にとっては学生時代住んでいた場所。両親はすでに他界していましたが、思い出の場所があまりにも変わっていること、弟のいない分私たちの無事を喜ぶと同時にこれからのことが心配だったのでしょう。

「一緒に帰ろう。」と何度も誘ってくれましたが、なぜかその場を離れることなど頭の片隅にこれっぽっちもなくきっともとに戻すことが出来るという変な決心みたいなものだけがありました。

あれからもいろんなことがあって今があります。
強くなったのは確か、あきらめがよくなったのも。

今ある幸せに感謝することなんてそれまであまり思ったことが無かったのに…。失ったことも多かったけれど、あれから学んだことは数知れません。

淡々と生きる。波乱万丈の人生だったからそこにたどり着こうとするのかもしれません。

子どもたちとあの日のことを話すことはありませんが、それぞれに何を思っていたのか彼らの中で消えることのない記憶の一つとなっているでしょう。

春に中学生となる孫はスマホデビューをLINEで送ってきました。
携帯電話もまだまだだったあの時。公衆電話から聞こえた実家の二人の声は今も鮮明に残っています。

時代は変わっても命の大切さはいろんな場面で学んでいってほしいと改めて思いました。

今日もいい日にしましょう!





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