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師走の家族

スーパーにはお正月の野菜やお餅、生鮮食品などが並ぶようになりました。
冬のニンジンは金時。真っ赤な色は雑煮用の細くて小ぶりな大根と並んで、いかにもおめでたい風景です。

最近は一年中いつでもカズノコ、黒豆を食べることが出来ます。
便利と言えばそうですが、季節感が無いというかお正月に食べるものという特別感がない分、ありがたさが少々…。

旬という言葉が色あせてしまったような感じはしますが、人の心はやはりその季節の中で躍ります。

日本人は行事を大切にしてきました。お正月に始まり七日目には胃腸の疲れを取る七草がゆ、二月になれば豆まきがあり、春のおとずれを喜びます。

奈良のお水取りは東大寺二月堂。滑るように春へと向かいます。
桜を見るまで、寒い寒いと言いながらもこれ以上極寒は来ないということが分かっているのですから、我慢が出来ます。

小さなころからおとなの中で育った私は台所でかいがいしく働く祖母や母の姿が好きでした。

 白い割烹着姿です。いつもピンと張りがあってきっと糊付けアイロンをしていたのでしょう。父のワイシャツも、ハンカチに至るまで。几帳面な父そのものです。

その二人が暮れになると大きな鍋で、煮しめを作っていました。
赤目芋、ニンジン、干ししいたけ、れんこん、ごぼうそしてこんにゃく。
長い菜箸で、時々こげないように火加減に気をつけているさまを今でもよく覚えています。

一日中と言っていいほど台所には湯気が立っていました。
その中で動く二人の姿が好きでした。私は昔では珍しかったカウンターにあごをのせて?飽きもせずいつまでも見ていました。

たまにこんな小さな私に?と思われる味見の役目が回ってきます。
「美味しい?」と聞かれて「うん」としか答えようもなくどう言えばいいのかわかりませんでした。

デパートへの買い物は叔母や祖父の役目で、たくさんの正月用品を両手に抱えて帰ってきました。祖父は末娘に甘くて仲良しでした。結婚式の日はなかなか自分の部屋から出てこなかったそうです。

父と叔父は障子の張り替えや高いところのすす払い?
やっぱり兄弟、なんだか仕草が似ていました。その叔父は早くに亡くなり
ましたが、その時には想像もできないことでした。
小さな私には理解できないことでしたが、身近な死はいつのころからか私の中に両親もいつかという不安を根付かせました。

その両親も、もちろん祖父母もいなくなり、人生の途中で出会った大切な人もと…。そんな家族を思い出せる私は幸せなのでしょう。

 そろそろ小規模ながらお正月準備。
ニケにはいつもと変わらない師走です。

今日もいい日にしましょう!







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