昭和の黒電話
私が小さなころ、電話はダイアル式の黒。大体玄関近くに置いてありました。どうしてその場所なのか?
皆が集まる茶の間は?きっとけたたましいベルの音と話している声、あるいは内容がまる聞こえなので冬は寒くて暗い玄関近くになったのかもしれません。重厚なと言えば言えなくもないそのフォルムは小さくても堂々としていました。
手芸の好きな友達の家には取っ手部分と電話の下、丸いレース編みの敷物があってちょっとしたブームでした。我が家はそんなブームにも乗っからないし可愛いいものは置かない家でした。庭で摘んだ小さな花を一輪さして置くぐらいです。
今のようにスマホで直接相手に繋がるのではなく、大体母親か、時には父親が出ます。
特に父は男の子からかかってきても取り次いでくれず、「○○って子から電話があったよ」とは言うもののそんな名前の男子はおらず…。また「今出かけてるよ!」と嘘をつきます。
父という大きな関門をくぐっての会話は聞かれそうもない場所であっても自然と小声になりました。
一家に一台ですから長電話となるとその前を用事があってもなくても父や母が通ります。無言の圧力!約束の日時と場所が決まってやれやれですが…。
当時は携帯電話もありませんから、待ち合わせ場所に着いても会えないことが多々ありました。一度家に電話すると「○○ちゃんも駅の南側で待ってると電話があったよ。」そこでやっと会うことが出来るというもの。両者と家のトライアングルで成立するもどかしさ!でもそれが普通でしたから…。ある意味、黒電話が頼りでした。今では考えられないくらい悠長な時間の使い方です。
電話帳は分厚くて大きくて何とも邪魔でしたが、それぞれのおうちの番号を載せるのならそりゃ分厚くもなるでしょう。
同じ苗字で同じ名前の人がずらりと並んでいて、あとは住所を頼りに見つけます。祖母は大きな虫眼鏡でその上老眼鏡をかけて探してました。
そんな賑やかな家族の様子をずーっと静かに見ていた黒電話も知らぬ間に珊瑚色やベージュのプッシュホンに代わり今ではそれぞれがスマホ。
あの親の目をかいくぐって電話した淡い思いは黒電話を何かで見た時ふと思い出します。
時代も変われば時間の使い方も…。そんなことを懐かしむこともたまにはいいように思います。
そういえば公衆電話も使わなくなりました。10円玉をいっぱい持って朝早く実家に電話したこともありました。途中で切れたら諦めて急いでモノレールに乗りましたっけ。それも電話の思い出です。
今日もいい日にしましょう!