1/2 『アバターウェイオブウォーター』『母親になって後悔してる』
毎月1日は映画の日。
正月は家族揃ってお休みなので旅先でない時は映画に行くことが多いです。
今年は『アバターウェイオブウォーター』を4DXで見てきました。
『アバターウェイオブウォーター』
アバターは再上映を九月にIMAXで見ました。
ど定番の展開でしたがとにかく臨場感あふれる映像美に圧倒されて、続編も絶対IMAX(4DX)で見るぞ! と決めていました。
今回のテーマは家族。団結、絆。
アバターのヒーローであったサリーは3人の男児ネテアム・ロアク・トゥクの父親となり、グレース博士の娘である女児キリを引き取り一緒に育てている。敵であったクオリッチ大佐の息子スパイダーが幼すぎたために星に残され、ロアクたちの友人となっている。
クオリッチ大佐の記憶を引き継いだアバターが軍(スカイピープル)を率いて再び空からやってきて……という展開。
それでサリーがどうしたか。
この辺りから人物の行動選択がピンとこなくなった。
前作の主人公サリーはリーダーであったにも関わらず、森の一族から離れる決断をするのだが、それはなぜなんだろう。どうして立ち向かわず、身を隠したんだろう。自分が標的だとわかったから、一族を守るために? でも身を隠しても相手は必ず一族を追求する。一族は安全にならない。逃げたところで先につながる作戦があるようには見えないのに。
サリーは家族を率いて海の一族の元に身を隠すが、海の一族の身の安全はどう考えていたんだろうか。かつて共にスカイピープルと戦った森の一族と違って、海の一族にはサリーらを守る義理もない。
また今回の主役は次男のロアクなのかな? と感じられるのだけれどこれといった活躍があるように思えない。キリやスパイダーなど因縁の深い人物にも目が行ってしまって……これは一体誰の物語なんだろうか? と感じてしまった。
スパイダーの行動選択も心理も共感し難い。ロアクたちの仲間なのだという自己認識を持って拷問に抵抗していたのに、他にどうしようもないのだとはいえクオリッチに進んで協力しているかのように見える。彼の動機や信念はどこにあるのか読み取ることができなかった。
私が気持ちを重ねていたのはキリとネテヤムだ。
長男ネテヤムは初っ端から向こう見ずな次男ロアクに振り回されて危険な目にあってばかりいる。「お前がついていながら」と叱られ子供でありながら兄弟を束ね管理する役割を振られている。
長女の私には、この役割をふられて嫌だった記憶がわんさとあった。ついていながら管理できないのもダメだし、ついていなくて何事か起きた時も私の責任になる。
私はキリのように、何かにすうっと吸い込まれてうっとりして過ごしたい子供だったから尚更弟妹が手に余った。
弟妹の行動選択は私の行動によってコントロールできることではなかったし、すべきことでもない。人を見張るなんてやりたくないし、どうせ最初から叱られる結果しかないんだから、最初から見積もっておいて、ことが起きるまでは自分の世界に没頭していたほうがマシ。
そう思って一人でいたがるのを問題視され、家族は団結すべき、家族とは絆で結ばれているのだから、と引き摺り出されてしまう。
だから地に足をつけない極楽蜻蛉となって、能力がないと諦めてもらうことにした。自由になるためには、人から期待されなくなるのが最善だと当時の私は戦略を立て、行動したのだ。
昨日の日記に書いた、私の「自分の気持ちを差し置いてまで、人の期待に応えたくない」は子供時代の体験が最も大きいのかもしれないな。
この戦略は当時の家族の中にあった子供の私には有効だったかもしれない。でも、そこを一歩出たら無能でいよう、期待されないでいようとする努力は他所から見て不可思議な行動でしかない。有効でもない。それどころか信頼関係や人生そのものを破壊するものだと、そろそろ理解しないといけない。
私はもうあの家の子供ではない。家の外では無能でいることは自由じゃなくて不信、搾取や侵略を呼ぶ。あえて期待に応えないことは不満を生み、失望される。
注目を避けなくてももう危険な目にはあわない。鬼ごっこは既に終わっているのだから。
だいぶ話が自分ごとにそれたけど、そんな私の子供の心はサリーが家族を語り、ネテアムを傀儡にするのを見ると憎しみを覚えた。サリーは「父親は守るもの」というけれど、助けられ、守ってもらっているのは父親のサリーの方じゃないか、と反発した。
一緒に映画を見た家族は私が見たようには物語を見ていなかった。
家族の絆、団結、協力は素敵なことだと感じていた。
人は物語を自分の見たいように見るということだなあ。と実感した。
『母親になって後悔してる』
この本を読んで思い巡らせたことは昨日も記事に書いた。
今日はまとめられるかなと思ったんだけど、やっぱり感想や紹介というよりはただ自分が思い巡らせたことになった。
子供が幼かった頃、私は私がいなくてもよかったらいいのになあとよく夢想した。
私の代わりに素敵なお母さんが現れて私は責任から自由になる。ただ愛でるだけでよくなる。
「どこか遠くへ行きたい」という歌詞が頭を周り、夜空を見ては一人であるきたいとおもった。
学生の頃みたいに日程も行き先も決めず気ままに旅することを想像した。学生時代に旅した島の風景や夜の道をなぞるように思い浮かべることで癒されて、何とか自分を立て直す。
私の日常はつつがない。どこにでもあるごく当たり前の幸福がある。
だけど私はもう二度と自分のためだけにどこにもいけないような気がしていた。
お母さんは一人で自由に旅なんかしてはいけないし、夜に家を空けるなんてしてはならない。
自分のために何かをしたとしても、決して子供から意識を離してはいけない。いつも繋がれている。
脳のどこかをいつも子供のために使用して、その残りでだけ自分を生きても許される。
私はこの先ずっと私という主体じゃなくて、いつも誰かの対象としてのみ存在することを望まれることになるのだ。
私でいたいというのはわがままなこと。私は誰なんだろう。
そんな感覚と幾つもの思い込みが私にはあった。
私は誰なのかという混乱した感覚は、自分の望みを無視して主体であることを手放そうとしたから起きたものだろう。
そして子供のための対象でいないといけないという思い込みは、無意識に母のようになろうとしたから生まれたものではないかと思う。
私には母という人間が見えていなかったから。
長男の嫁であり、四人の子供の母親だった母は私が家を離れる少し前まで(妹はまだ小さかった)ずっと誰かの対象だった。
大学を出て管理栄養士の資格も持っていたのに一度も仕事に就くことのないまま結婚し、私を産んだ。
障害を持つ義父母と同居し、慣れない畑仕事をしなければならなかった。体を壊ししんどい思いもいっぱいした。
きっと私の人生こんなはずじゃなかったと、心の中で何度も叫んだだろう。叫ばずにはいられなかったと思う。
私はその叫びを聞いて育った。それは怒りだったり嘆きだったりした。対象は至らない私であったり父だったり祖母だったりした。
この本に出てくる母親の声は私の母の声のように感じた。
今彼女は自分の人生で何より楽しかったのは子育てだったという。愛情深い人だと思う。
でも本当はずっとしんどかったし、「母親になって後悔して」いたんじゃないだろうか。「母親になって後悔してる」とは思いたくないあまりに抑圧していただけで。
その理由はわたしたち子どもを傷つけると思ったからでもあっただろうし、自分がそんな人間だと認めたくないでもあっただろう。
後悔は今は無意識下に押し込められているけれど、しんどかった頃は時々噴出していたように思う。
彼女のしんどさは、夫の健康や態度までみな妻である自分の責任だと感じていたせいだったし、長男の嫁として期待されたものの重さをまともに背負い込んだせいだったりする、と私は思っていた。
つまり「自分の描いた人生の望みはどこかに置いて来て、XX家の嫁、XXさんの妻、XXの母親というようにして生きていた」からだと。
私が結婚した時に母は「結婚したらそのようにして生きるものだ」と伝えた。
私はそんなふうに生きるのはゴメンだと思っていた。思っていたはずなのにわかっていなかった。「XXの母親」という部分に関しては。
見えていなかったのだ。母親というものが。母という人間も。
私は母とは真逆の自由な環境下にあった。嫁として妻として期待されることは特になかった。
だけど前述したように私はどこか遠くへ行きたいと願い、私の存在のない幸せな家族を夢想するようになっていた。
夢想することでぎりぎりバランスを取っていたのだ。
この本には私と全く同じようにしてきた人たちのことが書いてあった。
アバターの感想のところで書いたことでもわかるように、私は多分に回避的な傾向がある。
現実から遊離し、コミットすることを回避するやり方でうまく行った経験から、そうする癖が身についてしまっているのだ。
本の女性たちの一部にも出来事に対して同じ態度をとる癖を持つ人がいたんだろう。
でも、自分をぼんやりさせ感じないようにすることでやり過ごせばどうにかなる、のは子供のうちだけだ。
そういえば、気がつくとそういう夢想をしなくなっている。
きっとどこかで「母親という仕事をやりたくないと認めてしまった」ことにあるのだと思う。
認める=放棄するとなるのではないか? と発想する人もあるかもしれない。でも実際それは真逆だった。
「やりたくない、やりたくない、本当にやりたくない」とぶつくさ言ってる方がうんとやりやすくなっている。
そうすると、やって当たり前だったものが「やりたくないのにやっててえらい」になるし、「本当にやらないといけないことと実はやんなくていいことの区別」もついてくる。
「自分じゃなくてもいいものは人に振る」ことも考えられるようにもなる。
頑張らなくてよくなるからか。
それでもいまもまだ、こどもといつも繋がれている。脳のどこかをいつも子供のために使用して、その残りでだけ自分を生きても許される、それはこの後一生変わらないのだ(私の人生はもうおしまい)という感覚はまだまだ残っている。
単に自分の人生を生きるのが怖いのかもしれないな。
育児は発達心理学上どうしても一人の養育者との関係に荷重がかかりがちな時期がある。
そのためにそれには女性が適任だと思わされてきたのだと思う。この思わされてきたメカニズムを知って自分の外に追い出すことはとても大事。このことはこちらの記事にも書いた。
私の母のように素直に押し付けられた価値観を内面化して、全力以上に頑張って生きてきた人のことを思うとたまらない気持ちになる。
私は十分だろうか? という不安に駆られ子供への罪悪感を感じたりもする。
私自身この価値観から逃れられているとはとても言えない
でも、もし自分の中にそのために自分の感情に蓋をしようとしていることに気づいたなら、そのことを少し覚えておいてほしい。
蓋をしたくなるような気持ちを認めることも、手放すことも、簡単じゃないから、ただ私は自分の気持ちに蓋をしてでも頑張ろうとしているんだな、ということだけでも受け止めてあげられたらいいなと思う。
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二日目の今日は初詣。
徒歩圏にある氏神様のところに行ってきました。
夫が後厄なのでお祓いもしてもらいました。
おみくじは吉。今年は自分から動いていくのが良いそうだわ。
ちょっとずつ頑張ろう。