「人格の完成」を目指す日本の学校 働き方改革の中、あるべき教師の姿とは?
『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』を読んで
教育基本法、第一条
この条文を読んで、どう感じますか?
正直、「そうだよね」と私も思っていました
しかし、岡本薫氏の『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』を読んで驚きました
岡本薫氏が、OECDの教育研究革新センター研究員だった時代に、他の国と教育文化をすり合わせる書類を出した際、他の国の研究員から驚かれたというのです
「他の国であれば当然入っている「知識・理解・技能」という言葉がない
人格の完成を目指すのは学校の役目か?」
ということです
たしかに、そういわれてみると、変かもしれない・・・
平成18年に教育基本法が改正された際、文部科学省は以下のようにアナウンスしています
つまり、教育基本法は学校のものだけではない、ということです
ただ、日本の学校の基本は、「勉強を教える場所+人格の完成を目指す場所」だということも、間違いはないようです
どこまでが学校の仕事?
先日、クローズアップ現代で「あなたの先生は大丈夫?教師の過重労働 その果てに何が」という特集を組んで、先生たちの現状を伝えていました
教員が全国で2500人足りないこととその問題点
働き方改革などについて取り上げていました
その中で、視聴者の反応を見てみますと、とある校長先生がこんな発言をしていたことに、注目が集まっていました
「自由な時間を子どもに与えたから、その時間をどう過ごさせるか学校が責任を持たないといけない」
この言葉に対して
「それ、家庭の仕事でしょう」
という声が結構な数、上がっていました
他にも、生徒指導事案で、夜中にも生徒を引き取りに行く先生の姿
勤務時間外でなければ保護者と向き合えないことなどが話題に上がっていました
日本の現状を考えて
思い出してください
日本の教育基本法では、教師も「人格の完成」のために存在するのです
そう考えると、「自由な時間を与えた責任」も「夜中に警察へ生徒を引き取りに行く責任」も「時間外に保護者と向き合う責任」も、みんな教師に「も」あると言えそうです
さらに、こんなデータがあります
裕福な家庭で育つ子ほど肥満が多いかと思いますが、実は逆で、貧困な家庭にあればあるほど、肥満の子が多いのです
ここには示しきれませんでしたが、年収が下がれば下がるほど、きれいな坂道を描いて子どもの肥満率は高くなっていきます
余裕のない家庭では、安価でカロリーの高いジャンクフードに依存するなど、食生活が乱れるから、という分析です
さらに、
さらにさらに…学校保健安全法によると
つまり、「問題」のある食習慣をして、子供に「肥満」という健康上問題があるときには、保護者に対して教師が指導をしなければならない法律になっています
つまりは、日本の法律は学校の責任が、家庭の食習慣にまで及ぶことを示しています
あなたはどう思いますか?
私の経験ですが、貧困家庭にある保護者には、人間関係をうまく築けない人もいます
そうした方が、相談料もかからないし、時間を作って対応してくれる教師に依存するケースがあります
そうした方への対応は、1回につき2時間ほどかかることもしばしば
「人格の完成」を目指し、「家庭と協働」しなければならない私たちにとって、保護者を支える仕事も大切なのかもしれません
また、日本の優れた教師は、子供たちの人生に大きな影響力をもっています
「人格の完成」を目指し、道徳的な教育まで、私たちが行います
教科書で勉強する以外にも、あいさつは大事だとか、旅をすると楽しいとか、心が豊かになる話をたくさんレパートリーとしてもっています
結果、「私の人生を変えてくれた教師がいる」と話す人が大勢いるのも事実です
このnoteにも、そうした投稿が散見されます
日本の教師の姿を、岡本薫氏は海外の研究員に伝えるときに、
「日本の教育は宗教なのです」
と話すと、理解されやすかった、と言います
たしかに、「人格の完成」を目指す日本の教育の姿は「知識・理解・技能の習得」を目指す海外の学校と比べると、大きい役割があるといえます
でも、本当にこれでいいのでしょうか?
私たち教師も人間です
他の家庭の子どもたちや保護者を支えようとするあまり、自分の子どもが不登校になったり、家族の誰かがどこかで寂しい思いを抱えていたりする、という事実
家庭の仕事、と世界的には認められている部分まで背負わなければならないとする日本の法律の数々
どうなっていけばよいのか、道標がたくさんある道路の中を歩いているようです
教師自身がどう生きていくのが豊かなのか?
ここまで、たくさん書いてきました
できるだけ事実と印象を分けて、読んだ方が自分の考えをもてるように、構成してきたつもりです
私たち、一人一人の自己実現能力が、これまで以上に求められている時代に入ってきていると言えそうです
理想的な教師の姿
理想的な自分の生き方
何が正しいのか、これまで以上に自分で決めて強く生きていく時代なのかもしれません
三浦健太朗