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毎年、実践記録をつけています。
学級であった出来事や、授業のこと、子どものことなど、1年かけてゆっくり書き溜めて、春休み中にプリントアウトして大事に製本テープをはりつけます。
一冊は25ページから40ページほどになります。
たまっていった実践記録を眺めると、自分がどんなことに悩み、対応し、努力してきたかがわかります。

もともと、記録をつけようときっかけは、過去の自分を低く見るくせがあって、改めたいと思ったからです。過去の自分もその時々で精一杯やっているはずですが、
「今年の自分は昔と比べて、こんなことまで、できるようになったぞ」
みたいに、成長を捉える傾向があったのです。
しかし、初任者の時に書いた学級通信をたまたま見て、
「あ!初任者の時から、こんなことまでしていたのか!」
という新鮮な驚きがあったのです。初任者の時の自分が今より劣っているかというと、意外とそうでもないのです。
もちろん、つたないところは多々ありましたし、恥ずかしい実践、思い出したくない指導もしていました。ただ、目の前の子供に向き合うべく、必死にやっていたことは、今の自分よりも優れていると感じます。その中で生まれる教師としての価値観は、誇れるものもあります。

そのことに気づいてから、毎年記録をとり続けてきました。
読むたび、自分が教師として、積み重ねてきたものがあるとわかります。
例えば、かつては、子どもだけで学びを進められる授業の在り方について、ずいぶんなページ数をさいて実践記録が残されています。
今の自分だったら、やらないと思います。授業において、教師がいかにかかわるかが重要だと今では思っているからです。

他の実践では、「不登校のA子が卒業式に出るためにはどうしたらよいのか?」ということで、学級の子どもたちと、ものすごい話し合いが行われた記録が残っていました。子どもたちが、友達だけではなく、教師である私にも強く意見を言っていた記録が残っていて、驚きました。どのようにして、子どもたちとこんな関係性を築いたのでしょうか…。昔の自分に聞いてみたい気持ちになります。

こうした記録を見て、その時々で目の前の子供たちに向き合うために、常にどうあるべきかを考え続けてきた自分に気づきました。自分で自分をほめるみたいで変な気持ちですが、やはり教育は自分の経験から生まれるというよりも、目の前の子供たちと作り上げていった形なのだと気づかされました。

こんな思いにさせてくれる教育実践のまとめ。おすすめです。

                    三浦健太朗

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