見出し画像

子宮内膜症の治療体験記⑦〜重なる時は重なるのが人生かつ命を考える〜

賭けの手術。手術をすれば、なぜにこんなに痛みに襲われているのか、その原因が判明し除去できれば痛み軽減の可能性があるが、お腹の内部に何も問題がなければ単に病巣を取り除くのみとなる。
まず病巣を摘出する手術をするのかどうか、手術の場合は子供の希望の有無で、卵巣を可能な限り残存させる方法か卵巣を病巣ごと全摘出するかの選択に迫られる。
さぁ、誰に相談し、どう決めたら良いのか、相当に悩んだ。

本来なら、交際している彼に相談すべきだろう。しかし、この時点で、彼のお母さんのガン再発の治療が思うように行かず、治療方法がない状況で、彼の家族はセカンドオピニオンに走り回り、何とかお母さんを助ける方法がないのかと模索しながらも、終末期を自宅で迎える覚悟をしていた時だった。
そんな状況の彼に、命がかかわる病気でもない相談なんぞ、できるわけがなかった。

そして、自分の母に相談も一つだが、この時期に、妹の妊娠が発覚し、内心は喜んでいる母にこんな話なんぞできもしなかった。母としては、両極端な娘だ。そんな心労をかけることはできなかった。

今すぐ手術をしなければいけない病巣の大きさでもなく、ガン化が高くなる年齢にもかろうじてなっていないため、結論、痛みと闘いながら、手術の有無の答えは先延ばしにした。
今、無理に答えを出す必要はない!どうしても急ぐ場合は別だが、答えが出ない時は先延ばしにしたって良いのだ!それが答えだ!

とにかく彼を支えなければと思った。彼のお母さんには生きていてほしい。しかし、治療法もないほどの希少ガンなため、暗黙の了解でみんなが覚悟を決めていたのだ。
自分に何ができるのか考えた。とにかく、彼を支えることだった。

ここで痛感したことは、重なる時は本当にいろいろと重なるってことだ。
人生にはそういう時がある。
その時に、何を優先するかの選択肢に迫られる。後悔しない優先順位をつけることだと思った。

正直、胸が張り裂ける思いだった。腰にナイフ5本刺さった痛みをいつまで堪えたら良いのか途方に暮れる思いだった。
皮肉なことに、これから生まれてくる命がある一方で、消えていきそうな命がある、そんな状況で自分の悩みなんぞ小さく思えたのだ。むしろ、小さいと思うしかなかった。

こういう時に、世の中の資源で役に立つものがあるのだろうか。
いくらでもお金を出せば聴いてくれる人もいるかもしれない、一緒に考えてくれるかもしれない。
婦人科に相談機能としてメンタルケアの専門家がいれば良いのにと思った。
でも、やっぱり身近な人間に助けを求めたいのが本音だ。

さて、その後、手術の有無の答えを先延ばしにしたまま、転機が訪れる。新たなことが見つかるのだが、具体的なことはまた投稿します。



いいなと思ったら応援しよう!