続・チン凸百景 ~欲望の因数分解~
序
チン凸百景を投稿したところ、思わぬ反響をいただきました。
「手ぬるい」「まだまだだ」と。
こんな意見を頂ける人に出会えただけでも、面白がっていただけただけでも、前記事を書いた甲斐がありますし、そうしてこの意見をくださった人にお応えするという意味でもこの記事を書き綴りたいと思います。
お目汚しとなりますが、お読みいただけたら幸いです。
指摘と図星
「こんなDMいっぱい来て大変でしたね」から始まり「面白かったですよ」と言われ完全に気をよくした私の足元を払ってくれたあなたを忘れない。
そう前回記事では、なんの主題にも深淵にも触れられなかった。
私は加害されることが怖かったのだ。
あとはDMというコミュニケーションツールをあきらめているのかもしれない。私は問いの誘導が下手だ。
欲しい回答が全然返ってこないのは私が相手から目をそらしているからともいえる。
すぐコミュニケーションをあきらめてしまう私の浅さを指摘され、確かにとしか思えなかった。というわけで今回ではもう少し追求をしてみようと思う。
欲望とは
いずれチン凸される張本人とスペースで対談という形にこぎつけたいが、(前回事前準備が足りずきちんと思うところを聞くコミュニケーションがとれなかったため)今回は興味深い文献?を見つけたため、こちらを紐解いて話をしていきたいと思う。
”歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO)の
【番外編 #59】[PG-18]「社会には愛しかない」AV監督・二村ヒトシさんに聞く人類を幸せにする為のセックス(中編)【COTEN RADIO】”より
二村ヒトシさんはAV監督としてご活躍なさっている御仁であるが、この方をお招きしてコテンラジオのメンバーが話を聞いていく、という回。
前回の放送で、人間の欲望とは何か、心の穴、についてお話をされていたのだが、ここまでを前提として考えたい。
性犯罪が後を絶たない世の中である。
この中で二村さんは仮定する。
”痴漢は性欲で行っているのではなく支配欲で行っているのではないか。”と。
以下引用となります。
本当は無理やり女を犯したり、痴漢したいのではなくて、本当は自分が女性からもうちょっと愛されたいという感情を性的欲望に置き換えているのではないかな。この本当の気持ちがひん曲がって発露しているのではないか。そうして一旦この愛されたいという感情がどこへいくかというと、自分より弱いものを支配したいという衝動として現れるのではないか。
性的な暴力衝動であるならば、その暴力衝動が相手に受け入れられて相手を興奮させてお互いの興奮が高まっていくのが性的な関係だろうと思う。
僕はそういう風に思うし思いたい。相手が本当に嫌がっていることに興奮するといわれたら水掛け論だけれども。
マゾの男性は本当に自由と女王様は言う。
明るいとか気持ち悪いとかそういうところから別の所にあって、もっとのびのびと自己を開放しているように見える。
それが一方的な暴力、体だけではなく心まで傷つけようとする暴力は暗くのびのびしていないように感じる。
性的なことは人間を開放することだと思っているし、開放しない形式の性はなにかそこにズレがあり、隠されている欲望があるのではないかと思う。
かつて、痴漢で捕まった人間が「欲求不満だった」といい同性のおまわりさんが「奥さんお家でセックスしてあげてくださいよ」、と注意する時代がついこないだまで日本にあった。
定期的に射精をしていれば痴漢をせずに済むのか。
この人の満たされなさは射精で満たされるのか(いやそうではないだろう。
自分の欲望の因数分解みたいなものが足りない者が犯罪に走るのではないか。
二村さんがここまでを語り、
「性欲を性欲の中で理解しようとするのが危険で、性欲ではなくそれは社会的欲求なのではないか。
社会と自分との関係性の中に欲望の源泉はあるはずだ。」とパーソナリティ深井さんは整理する。
私はチン凸の源泉もここにあるような気がしてならない。
彼らのなにか抑圧された社会的欲求が、性欲の形で、それも性加害により近い形でチン凸となって発露しているのではないかと私は考える。
それぞれに誰にも言えない社会的欲求。いったいなんなんでしょうね。
ただただ勃起を見た、見られたでなにか解消されるとも思えない。
透けて見える「もうちょっと愛されたい」「認めてほしい」そんな気持ちを汲み取らなきゃならないいわれもない。
欲望の因数分解
どうやったら因数分解できるんでしょうねというパーソナリティヤンヤンの言葉に答える形で二村さんの話は展開する。
穴という言葉でみんなそれぞれの欲望があると述べてきたけど、その因数分解を人から言ってもらえば安心ができるよね。でもそのコールドリーディングは自分でするしかない。
人に開示せずに自問自答すると、人は自分に都合よくしか解釈できなくなっていく力学が働いていく。それは自己を守るために当然の防御反応だが自己にはたどりつけない。
安全な場所でだれか信頼できる人と対話するしかないが、そこまでのレベルで信頼できる対話をできる人はいないのかな、いやルール次第では或いは可能かもしれない。
これは哲学という学問がそうで、知識の学問ではなく、フーコーが言うように物事を深く考えていったらいけないところまで踏み込んでしまった、ということなのではないか。
現実に関係がある人とはとても難しい問題だし、聞き手は解釈もジャッジもしてはいけない。本当に欲望を見つめることについて真摯にならなければ、というのが難しさだろう。
完全に別の個を理解するという意味では人類学のスキルも必要となるだろう。
欲望の形は人それぞれで、ポルノを否定する人はAV女優を不幸というかもしれないけどその論点では語れないものがあり、その人のヒストリーがある。たとえば巨乳はAV女優になるまで背中を丸めて生きているが女優になった途端開花する。自分に配られたカードを認めなくてはいけないときがあるのではないか。
私はいつも知りたくなる。
行動の原理を、その人の価値観を、人生を。
理解すること、論理を抜き出して眺めることに快感を覚える。
もしかしてこれが私の心の穴なのかもしれない。
裏アカと呼ばれるものの中で、コンプレックスと闘いながらも自分に配られたカードで勝負する裏アカ女子に深く感銘を覚える。
それは彼女たちの欲望が因数分解されているからではないかなと思う。
時にパーツで、時に下着で、時に日常を、時に顔を、時にプレイを。
各々の文章でつづる。断片を私は拾い上げる。
また因数分解しようともがいているさますらもいとしい。
たどり着きたくて活動の痕跡を残す彼女たちはいつかの私に同期する。
そういうわけで、雑なチン凸、雑なDMを私は嫌悪する。
もう少し因数分解していただいて、きれいに整備したあなたの心の穴、是非見せてください。
長くなりましたので今回はこの辺で失礼します。
次回、結局男は勃起が好きだね、という形で続きをまとめてまいります。
よろしくおつきあいください。
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