出来ないを味わうことにした
出来ない
私は大体の事が
出来ない
沢山の劣等感を感じて生きてきた
不甲斐なさと情けなさと悔しさを感じて生きてきた
出来ない
事が嫌で仕方なかった
そんな私がついさっき閃いたこの言葉を
私自身が忘れてしまわないように
そして私と同じ気持ちで、押し潰されそうなあなたにとっての
小さな救いになれば。と願い
書き進めていこうと思う
noteを書くことが 出来ない
友人に勧められ、5月に始めたこのnoteでは
自己紹介を含め6つの文章を割と短いスパンで公開してきました。
元々話す事や「言葉」が好きだった私はnoteを書くことが楽しく、自分の紡ぐ言葉に反応を貰えるということも今までにはない感覚で嬉しかったです。
それなのに、最後のnoteを公開してからあっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。
書くことが 出来なく なってしまったのです。
出来ない 辛さ
noteを書くことが出来ない
と書きましたが、書きたくない訳では無いのです。
「何をnoteに書こうかな」と考えればアイディアも湧いてくるし
生活の中で「これnoteに書こう」と思うこともあります。
下書きにはタイトルだけの文章が5つ程眠っています。
でも文章を書き切ることが出来ない
もどかしくて辛くて
不甲斐なくて情けなくて悔しい
noteを書かない自分に苛立ったりもしました
「出来ない」理由
時間がない
テーマはあるのに結論が出ない
書きたい結論にあった例え話が出ない
周りの反応が怖い
好きな響きの日本語に出会えない
沢山の理由が出てきます。
沢山の言い訳が出てきます。
noteに限らず
「出来ない」事には
「出来ない理由」がありますよね。
私はこの
『出来ない理由』を『味わう』
事にしました。
「出来ない」のは「出来る」まで
「出来ない」はいつまで続くのだろう。
この苦しさはいつまで続くのだろう。
なんて考えてしまう事がありますが
私が見つけた答えはすごくシンプルでした
『「出来る」まで』
です。
「出来ない」を「出来る」
にする為に人は多かれ少なかれ努力をします。
悩み、もがき、苦しみます。
そして一度出来てしまうともう
そのことに関して努力しなくていいし
悩み、もがき、苦しみむ必要もありません。
出来ない時間はその時だけなのです。
ならば「出来ない」時間って有限で
かけがえのないものなんじゃないでしょうか。
出来た後にまだ
悩み、もがき、苦しむとしたら
きっとそれは次の「出来ない」の為です。
勉強でもスポーツでも仕事でも
必ず
過去よりも今の方が沢山の「出来る」があるのです。
だから私はこの、今しかない
『出来ない時間』を『味わう』
事にしました。
「出来る」とは
何をもってして「出来ない」なのか
何をもってして「出来る」なのか
試験などの場合を除いて
大抵の場合は「出来る」の定義を自分決める事が出来ます。
だから私は「出来る」を小さくする事を心掛けようと思います。
「noteを書くことが出来ない」ではなく
「途中までならnoteを書くことが出来る」
のように小さな「出来る」を積み重ねていけば
「出来る」が大きくなって
「出来ない」が小さくなっていく気がします。
だから私は
『「出来ない」になってしまう定義』
ではなく
『「出来る」にできる定義』
を自分決める事にしました。
「味わう」とは
味わうと言っても何か特別な事をする訳ではありません。
自分が「出来ない理由」を知り
「出来ない時間」を満喫し
悩み、もがき、苦しみながら、努力をし
「小さな出来る」を積み重ね
自分らしく「過ごす」だけです。
「あぁ、こんな理由なんだ」
「この時間は今しかないんだ」
「どうしたら出来るんだろう」
こんな色んな感情を
人と比べるのではなく
自分の宝物として大切に抱えながら過ごして欲しいのです。
少なくとも私はそうする事にしました。
そしてnoteを書くことが「出来ない」
自分を味わっていたら
noteを書くことが「出来ました」
それぞれがそれぞれに
自分を責めること無く
「出来ない」を味わうことが出来れば
自分にとって贅沢な時間を過ごせる気がします。
自分にとって贅沢な時間を過ごし
豊かな自分になる為に
私は「出来ない」を味わうことにした
私は次に出会った
「出来ない」もじっくり味わおうと思います。
それではこの辺で