いいとこどりでいいのです
#オールオッケー
こんにちは!
井川ともみです🌈
葉山は朝から土砂降りの雨
この後午後にかけて
さらにひどくなるみたい
昨日の夜
「明日の朝の様子で学校ないかもしれません」
というメールが来て
今朝に
「学校あります」
って
あげといて~
落とす~
笑
下校時間のほうが心配なのに
こんな日は家でおとなしくしているに限ります。
そういう選択をするのも
自分
みんな自由でいいのです。
今朝この谷口さんの投稿を見て
ちょっとざわっとしました。
ざわっとしたということは
私の内側にある何かが
何かに触れたのでしょう。
↑よかったら投稿読んでみてくださいね!
言いたいことはわかります
でもいい方は大事です。
誰かを傷つけようと思って発言しているわけではないのは
谷口さんに何度も会ったことがあるので
わかります。
でも
実際に子育てしていて
学校に行かない子どもたちを抱えている当事者
家に引きこもるしかできない子どもたちのことを
わかってての発言なのかな?
と
思ってしまったわけです。
この記事から続きますが
先日葉山、逗子の
子どもたちの居場所をしている皆さんと懇親会(飲み会)
を行いました。
あ、私個人的には
ビールが好きなのと
飲みニケーションが大事だと思っている
昭和の人間なので笑
みんなでおいしいものを囲んで
好きなもの飲んで
まぁるく座って
おしゃべりしていたら
仲良くなるでしょ
って勝手に思って
お互いを知る、友達になる
すべてのベースはそこです。
で、その居場所をされている中に
中高生に対象を絞って居場所をされている方がいて
という話を聞きました。
我が家は小学一年生の時から学校行く行かないになったので
留守番ができなくて
どこへでも私が連れまわしていて
今でこそ
めちゃくちゃ明るい「不登校」ですけれど
中学生から学校へ行かなくなってしまった子たちは
そうはいかないことが多いようです。
子どもが中学生くらいになると
たいてい両親とも働いており
家で子どもが一人になることが多く
一人で外へ出て
誰かに会うのが嫌
「あれ、学校は?」とか
話しかけられるのが嫌
で
引きこもる
昼間家から出ない
昼間家に自分以外誰もいない
すぐに昼夜逆転になってしまいます。
布団から出られない子
ゲームやっている時間だけが生きていられる時間だったという子
学校行けない自分なんてこの世界から消えてしまえばいいと思っている子
子どもたちは学校へ行けないことで
自分を責め続けます。
誰にも会いたくない
誰とも話したくない
ゲームとYouTube
それが自分と世界を繋げてくれる唯一の物
だったりするわけです。
学校で好きなことを見つけられたらいいですよね
楽しいことを見つけられたら
毎日素晴らしい学校生活かもしれません✨
でもそんな単純な話ではないのだ
と
私は思います。
我が家の次女も
学校に行きたくなかったわけではありません。
学校に行きたいのに
うまくいけないから
苦しんでいたのです。
学校に行きたいのに
なんでいけないんだろう
どうして教室に入れないんだろう
言葉では説明できない
本人にしかわからない
恐怖、不安、戸惑い、悲しさ、怒り、寂しさ
いろんなものがそこに存在していたはずです
目には見えないけれど
親にも先生にもわからないけれど
そこには確かに存在していて
「学校行きたくない、学校行けない」
という言葉でしか表現できない
何かがあるのです。
やはりそこに目を向けていくことが大切だなと感じます。
脳のつくり
感覚の伝わり方
捉え方
みーんな違うのだから
脳を取り替えないと
子どもたちにどんな世界が見えているのか
わからない
からこそ
前提が
それいいんだということ
すべてオッケーなんだということ
なんでもありなんだよ
と
まずは子どもたちの今を
全肯定の世界で包み込む必要があります。
ゲームしててもいいじゃん
YouTube見ててもいいじゃん
今、生きているんだから
それで、それだけでいいんだよ
って大人が言ってあげませんか?
いい、悪い
正解、間違い
正義、悪
この世界はそんな二元の世界ではないはずです。
私には私の思い、主観、価値観があって
それがみんなとは違うというだけです。
ひとりひとり違うのだから
大人も子どもも
みんな違うのだから
みんな、それでいいのです。
思えば
私はこうやって子どもたちのすべてを肯定して
一緒に暮らしてきました。
これは決して突き放しているのではなく
放任主義なのでもなく
子どもを信頼しているから出てくる言葉です。
大丈夫
そのままのあなたでいいから
そのままで素晴らしい存在なのだから
と
かける言葉や一緒に過ごす日々で
伝え続けてきました。
学校行こうが行くまいが
どっちでもいい
それより今笑っていてくれたら
それでオールオッケーです!
常々言っていますが
選択肢が少なすぎることが問題なのです。
子どもはみんな違う
多様性
と言いつつ公的に用意されているのは「学校」
だけだからです。
あれもあるし
こっちでもいいよ
あ、学校もあるけどね
くらいだったら
どれを選んでもいいんだということが
前提だったら
こんなに学校へ行かないことで苦しんだり
自殺したりする子どもたちが
いる日本、社会じゃないかもしれません。
いいとこどりでいいんです。
こうじゃなきゃいけないんてことは何一つないのですから
子どもだけではなく
大人も、そうですよ✨✨
まずは、自分
自分の意識改革から✨✨
今この瞬間、笑顔でいるか
心地よくいるか
そこに貪欲に生きていきましょう✨✨