プロ意識
「皆さんはプロの剣士なんだから、ちゃんとした居合をしてもらわないかん」
居合の稽古の時に師匠が口にする言葉だ。
これは、特に低段の者を指導する高段の者に向けて投げかけられる言葉である。
人に何かを教えるにあたって、プロ意識を持って事に臨め、ということか。
私の職業は、日本語教師である。
つまり、プロの日本語教師である。
留学生に日本語を教えることで、サラリーを得ている。
だが、私は日本語指導のプロである、と言いきる自信がまだない。
もちろん、日本語教師の誰もが、全ての漢字の読み書きができ、難解な四字熟語や故事成句に精通し、国語辞書に頼らずとも言葉の説明ができる『日本語マイスター』かといえば、そうじゃないだろう。
例えば、「丹田」や「残心」などの言葉は、居合を始めてから知った。
これは、武道の世界に足を踏み入れたからこそ、知り得た言葉である。
つまり、まだ見ぬ他の世界で使用されている日本語は数多くあり、それにともなって、知らない日本語も数多くある。
それ以前に、一般常識として世間で知られている日本語すら把握しているかどうか怪しい。
そうなると、私は日本語をあまり知らないにもかかわらず、プロとして日本語教師をしている。
そもそも、プロの日本語教師とは何ぞや。
実は、まだ自分の中で明確な答えが出ていないのだが、現時点で私が思う日本語学校におけるプロの日本語教師とは、以下のようなことができる者だ。
それは、「学生達が志望する大学や専門学校などに進学させる」ことができ、「日本語のメジャー資格である日本語能力試験N2やN1に合格させる」ことができ、「日本で生活するにあたって十分な日本語の4技能(読む、書く、聞く、話す)を習得させる」ことができる者のことである。
そこで、今一度、自問自答する。
「プロであるために、工夫を凝らして授業の準備をしているか?」
「志望校合格のためのサポートは万全か?」
「日本語能力試験の出題傾向や解答のポイントが頭の中にあるか?」
「もう少し、プロ意識を持って仕事に挑まんといかんのではないか?」