【讃美歌】また会う日まで(読書感想文)ー8 風と共に去りぬと太平洋戦争
【讃美歌】また会う日まで(読書感想文)ー8 風と共に去りぬと太平洋戦争
出版当時、「風と共に去りぬ」という本、ワガママながら神をも頼まないスカーレット・オハラという女性は、アメリカでも不評だったそうです。
舞台は19世紀、アメリカのジョージア州。
スカーレットの父親はアイルランド系移民のジェラルド・オハラ、母親はフランス系の亡命貴族の娘、エレン・ロビヤール。近隣農園の貴公子・アシュレーに想いを寄せていましたが、彼は従姉妹のメラニーと結婚し、スカーレット自身は半ば自棄でメラニーの兄・チャールズと結婚します。
南北戦争でチャールズを喪い、紆余曲折あり二度めの結婚も失敗に終わるものの、今度は気障なレッドバトラーの熱心なアプローチにほだされる形で、周囲の反対を押しきり結婚します。
けれど、良いスカーレットもレッドも良い家庭人では無いことから、次第に溝が深まり、事故と流産で子供達を亡くしたことから、修復不可能なほどに亀裂が深まります。
従姉妹のメラニーと結婚したアシュレーに長く横恋慕し続け、不倫関係にまであったスカーレット。
対してメラニーは、アシュレーとの関係を疑いもせず、スカーレットを自分には無いものを持つ女性として慕い続けていました。
それまで嫉妬心から、メラニーを心のうちで蔑み続けたスカーレットですが、産褥期の状態が悪く死のうとしているメラニーを見て、その心の清らかさに胸を打たれる思いがします。
それと同時に、死に行くメラニーに怯えるアシュレーの臆病さに愛想が尽きてしまう。
レッドバトラーとよりを戻そうとするも、彼はもうスカーレットを愛しておらず、彼女のもとを去ります。
スカーレットは、自分のことを愛してくれた人を誰も彼も失ないますが、それでも再起を胸に誓います。ー
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世の中は、星に錨に闇に顔。
馬鹿者だけが行列に立つ
太平洋戦争時代の風刺歌。
星は陸軍、錨は海軍、
闇は闇市、顔は縁故。
戦争が佳境になるにつれて、「また会う日まで」のトーンは暗くなっていきます。
まず1943年に、妹トヨの息子・文彦が肺の病気で逝去しました。
輝雄自身も肺を患い、戦艦・霧島に乗らず一時期群馬で療養していました。
日に日に悪くなる戦況に、後添えのヨ子と輝雄はキリスト教を信仰し、絆を厚くしていました。
マタイ伝ー七章
「狭き門より入れ
滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
学童疎開が囁かれる頃、天測歴を作成する水路部も、機能を都市部に集中させるのは危険ということになり、移動の候補地に、立教高等女学校が挙がりました。
三鷹台駅が最寄り。水路部の出身者を使者として立てて校長に打診しに行きました。
立教高等女学校はミッション系で、輝雄は親近感を抱いており、近くに軍需工場が無いため、攻撃の的になる可能性が低い理想的な場所。
校長の方も、水路部の手伝い・天測歴を作るための計算をさせた方が、疎開や他の軍需工場に働きにいかせるよりも、生徒を手元に置いておけて良いと、水路部の分署を作ることを承諾しました。
利雄は女生徒に、虎印計算機の使い方を教えます。
1944年初頭、不沈空母となるサイパン島が米軍に占領さら、いよいよ本土空襲の可能性、敗戦ムードが色濃くなっていきました。
燃料・食料、補給能力に乏しい日本軍は、武士道を引きずったまま20世紀を迎えていました。
持久戦に備えて補給艦を用意するのではなく、戦艦大和や武蔵など、真珠湾攻撃など顕著であるように、火力で一気呵成に攻めて短期で敵を圧倒し制圧することを考えていた。
それは美学であると同時に、物量に差がある対米戦では、ギャンブルと同じにひとつの戦線に全賭けするしかなかった。
ミッドウェー海戦の大敗から、勝ち目はどんどん薄くなっていきました。
けれど人はなかなか逞しく、
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、と言われれば
足らぬ足らぬは夫が足らぬ(※兵隊に取られて男手が無い)と返し、日に日に悪くなる食料事情の悪化への不満や不安を、皮肉な笑いに変えて終戦まで堪え忍ぶのでした。