【読書感想文】ムスリム、インシャラー(なるようになる)
ご紹介ありがとうございます
ちゃりれれさん、バトン渡してくださり、ありがとうございます
この夏、このような企画に参加しました。
課題多いけど(特に音外しすぎ問題)、
頑張りました。
【読書感想文】バビロンに生きて歌え
旧約聖書の詩編137とは
「われらバビロンの河のほとりにすわりシオンをおもひいでて涙をながしぬ。われらそのあたりの柳にわが琴をかけたり。そはわれらを虜にせしものわれらに歌をもとめたり。われらをくるしむる者われらにおのれを歓ばせんとしてシオンのうた一つうたへといへり。われら外邦(とつくに)にありていかでエホバの歌をうたはんや」
バビロンに捕囚された人々が外国で苦しみながらシオンの歌を歌う様子が描かれています。
シオンは旧約聖書でエルサレムの別名、「神が住まわれる主の山」とも呼ばれています。
キリスト教では、やがて来る新しい「神の都」の象徴として捉えられています。また、ユダヤ教徒には「シオンへ帰ろう」という願望があり、イスラエルの地での故郷再建運動をシオン主義と呼びます。
この小説のあらすじ。
ターリクという青年が、レバノンである要人の暗殺を行うも、後ろ楯の組織に、戦略として失敗ということで事態収拾のために「とかげの尻尾切り」に見舞われます。
国を追われ船で日本に密入国、「サン・パピエ(※無書類)」の状態に不安を覚え、ターリクは下船を渋りますが、三か国潜伏の後イスマイルという外交官からパスポートを受けとるように、と組織の末端に言われ、しぶしぶ従います。
うまくイスマイルに接触できたのは良いものの、取引現場でパスポートが入ったアタッシュケースが盗まれてしまい、ターリクは無頼・不安を抱えたままロックスターに登りつめるというストーリー。
平成2年、40年近くも前の小説…?
池澤夏樹さんは、毒親育ちを自称する私の、父親がわりみたいな人です。
(勝手にそう思っているだけだけど)
文豪の作品・ストーリーは、商業的な理由が絡まず、スピンオフでもなく世界観がひとつひとつ独立していて、誰かが書いた「自叙伝」でもありませんが、同じ作家さんの作品を読み続けると、作家としての変遷が伝わって来る気がします。
「本というのは、最も寡黙で最も忠実な友、最も近づきやすく思慮深い相談相手、そして最も忍耐強い教師である」
チャールズ・ウィリアム・エリオットのことば
「バビロンに生きて歌え」で描き出されるのは、主人公ターリクが何者であるか?ということです。
解説が分かりやすかったので引用します。
「ターリクはゲリラではあるが、小説冒頭で彼は弱い存在でしかない。パスポートもなく食事も乏しく、使命すら失い見知らぬ町を歩きだす。
けれど彼はちょっとしたきっかけで自らの脆弱な在り方を別方向に転換させる。痩せこけて傷ついた犬に対して、すぐさま保護者の立場についてしまう。
以降、弱さから強さへの反転は反復され、聴く立場は歌う立場に繰り返し転換していく」
「戦いそして歌うことは、つねに誰かの名で、他者の口でそうすることだ」
本文のターリクの台詞
「歌うのはぼくじゃない。死んだ強い兵士。死んだ子供や女や老人。みんなぼくの口で歌う。ぼくは声を貸してるだけ。それでも伝えられない。言えないこと、たくさんある」
先進国とか、恵まれた国の学校の義務教育では、ずーっとずーっと「言いたいことを言え」と教わるけれど、この小説を読むと
「言いたいことなんか無くても良い」と思った。
というか、恵まれている者とそうでない者。明らかに恵まれた環境にいる人間が、知識として恵まれていない側の悲惨さを知りながら、
「何が言いたいですか?自分の意見を持ちなさい」って聞くのは、そもそも、どうかしてるのかも知れない。
大別すると
「なんとかします」(※なんとかできていない)か、「可哀想ですね」の二つしかありません。
その逆、言いたいことなど何も無くても、誰かの声を聴くこと。「自分の番」が来るまで、誰かに寄り添い続ける事。
社会的弱者の立場にあっても、保護されることを望まない、そういうアバンギャルドながら強い精神に触れた気がしました。