【読書感想】苦難の中で、社会から忘れ去られていても
【読書感想】苦難の中で、社会から忘れ去られていても
そこで人と人とが協力しあっていれば、地獄ではない。
「苦界浄土」作者の石牟礼道子さんは、日本のレイチェル・カーソンとか、水俣病患者のために闘ったナイチンゲール?ジャンヌ・ダルクだとか言われている人。
解説まで読むと、この呼称はしっくり来るものでは無いけど、評価として納得したのが、彼女は日本でノーベル文学賞を獲れる筆力があった人だということ。
水俣病(熊本県)について、かいつまんで説明すると、
明治後期に創業し、第二次世界大戦をはさみ発展した日本の化学メーカー、チッソ株式会社(Chisso Corporation)。
後進工業県の熊本が栄えた立役者だけど、アルデヒド合成の結果排出される有機水銀廃液を不知火海に流し、生物濃縮された魚介類を食べていた近隣漁村の猫が斃死、次いで人に水俣病が発生、流行した。
謎の中枢神経疾患
視野狭窄、歩行困難、てんかん症状
強迫笑い、完治はなく深刻な後遺症。
続く患者に対策委員会が立ち上がったが、はじめはウイルスから重金属中毒、ついには廃液が原因ではないか?と疑われたチッソは調査に非協力的ながら患者と「見舞金契約」なるものを結び、その条文には
「今後チッソの廃液が原因とわかっても、補償金の上乗せはしない」とあった。
メチル水銀が原因と公式発表されてからも、契約を盾に、裁判で契約の無効が断じられるまで、補償義務を固持し続けた。
新潟水俣病の発生、やっと公害防止基本法など環境保護の法が整おうというとき、ストップをかけられるまで、チッソはメチル水銀廃液を韓国に輸出しようとしていた。
会社のラボでメチル水銀が原因と分かっても、公表しなかった。
直接水銀入りの魚介類を摂取していない胎児性水俣病の存在の認知は、水俣病発生よりも更に時間がかかり、症状が出ているのにも関わらず、長く補償の対象外だった。
水俣市民45000人と水俣病患者110人余りの命、どちらが大事なのか。
結果として起こった事実のひとつは
「チッソは被害者が死ぬのを待って、できるだけ補償責任を減らした」ということです。
現代に生きる私は思う。
人の所業では無い。
けど、当時の時代を生きた人ならどうだったろうか。
ジャーナリストという時流に乗る者は、やはり「世間」が環境問題に関心を持つまで、水俣病患者を見捨てていたのだし、日本の発展のために必要な犠牲だと思わない自信はない。
罪悪感はあった、すまなかったと思っている、後付けのことばで済む話じゃない。
あたかも石牟礼道子さんの取材に基づく見聞き書のような体裁ながら、解説によると、彼女は水俣病患者を取材したことはほとんどなく、いわく「彼らの思っている事をことばにすると、こうなった」という私小説なのだそうです。
「緻密な取材に基づく」小説の方が、当時でも本としてはセンセーショナルで売れるというメソッドがあったんだろうか。
けれど、この小説にこれほど読者を揺さぶる力があるのは、石牟礼道子さんが「取材したこと」が「正確」だからではなく、イタコのごとく彼女が水俣病患者を憑依させたからだ、という解説が腑に落ちる。