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魂にふれる実践のすすめ vol.1 スピリチュアルを「学び」として知る。
スピリチュアルという言葉の壁
「スピリチュアル」という言葉に共感を持ったりする人もいれば、敬遠する人もいます。
敬遠する人は、「スピリチュアル」を口にする人に対して、「霊とか信じてないから現実を見てね」「あやしげな宗教」「お金儲けでしょ」「詐欺」「迷信」「個人的な感想でしょ」「都市伝説」「精神的弱みに付け込む」「医師のほうが信用できる」「精神障害」「金持ちの余裕でしょ」など様々な印象を思い浮かべます。
実際に参入が簡単でお金儲けが絡むと、個人差があって真贋の確認をしにくく、責任も取る必要のないといった側面が助長して、カルト的な詐欺が横行し、「スピリチュアル界隈」の真偽を見極めづらい環境にあることから、ある意味仕方ない現象なのかもしれません。
特にスプーン曲げのように「手品」としての種明かしがあると他も同様だと思ってしまうことでしょう。
親しい友人が急にそれを真剣に言い出したり薦めてきたら、心配して「騙されていないか」「心の疲れ」を疑うでしょう。
なので、たとえ、不思議なことを感じても、それを赤裸々に口外したり、同調を促したりすることが社会的信用性を失うと思い、公共の場で口に出せないので情報が限られたところにしかないということもあります。
「スピリチュアル」はこういった状況が変わらない限り、言葉を変えても一緒です。
学問としてのスピリチュアル
信頼のおける情報なら、学問としての体系を持っていないとおかしいと思う人もいると思います。
スピリチュアルとはそもそも何でしょうか?
スピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来する英語で、霊的であること、精神に関することを意味する。英語の本来の意味では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する形容詞。宗教、占い、スピリチュアルに関心の有る人は、カルトから勧誘や不安を煽る教え込みで「自分たち(彼ら)の世界」に引きこまれる注意が必要である。
「スピリチュアル」は西欧の「心霊主義」を日本に紹介した際の和製英語のようです。
霊魂の死後存続や死者との交流という信仰は世界中に見られるが、心霊主義(スピリチュアリズム)という言葉は、19世紀半ばにアメリカで始まったものを指すことが多い。死後の世界との交信や超能力のパフォーマンスを焦点とする「宗教運動」とも理解される。霊魂との交信は交霊会(降霊会)と呼ばれ、霊媒が仲立ちとなることが多い。近代の心霊主義は19世紀後半に全盛期を迎えた[6][7]。コックリさんはこの19世紀末の全盛期におけるテーブル・ターニング(en:Table-turning)のブームが心霊主義の一部としてでなく日本に伝わったものである。
実は、日本だと気づきにくいのですが、海外でも日本でも「スピリチュアル」の本質の「心霊主義」を体系づけて学問としています。
それが「宗教」です。
「宗教」といえば、まず「神様」を思い浮かべますが、「宗教」は立派な学問です。
ただ、「宗教」といっても、表立って学問となっているのは「神様のこと」「思想・哲学」と「生活習慣」と宗派ごとの「儀礼式」「鍛錬方法」になります。
宗教という学問では、知ることと実践することが求められます。
「スピリチュアル」とは実践によって超自然的な体験を得ることを主体とした学問であり、目的は実践によって神秘の気づきを得ることなのです。
武道やスポーツでも、ある程度身につけるとその先には精神的な部分、そして突き詰めていくと哲学的、そして神霊的な気づきに行き着くものです。
近世になって「科学を信仰する」考え方が主流となり、「スピリチュアル」な学問は、すでにあるもの以外は新たに表立つことが難しくなりました。
原因は、詐欺が横行しやすい社会的一面と、今の「科学」を基準とした物事の捉え方だけでは、万人に分かりやすく「スピリチュアル」をうまく説明できないからになります。
実践し、個々で体験した実感をもとにすることが根本にあるので、それを経ていない人には説明できず、「不思議なことが起こりました。」となるのです。
宙返りの仕方を教えても、感覚がわからないのと、身体の基礎ができていないので、できないのと一緒です。できるまで繰り返し試して感覚をつかむことが必要です。
それを解決するには「スピリチュアル」を学問として、体系的に見える化したらどうだろうかということを考えたりしました。
神道とシャーマニズム
神道はどうでしょうか。
よく神道は教義がないため宗教ではなく生活習慣と言われます。たしかに絶対的な神を崇める宗教のイメージではないのですが、神霊を敬うことは日本の生活様式に溶け込んでいますね。
神道の神髄は「シャーマニズム」と「アニミニズム」と「祖霊信仰」です。
「シャーマニズム」とは、宇宙や自然や神霊との交信、そのための心身の能力の覚醒です。
「禊」と「儀礼」と「言霊」と「示し申すカミ」
八百万の神様を感じることが日本の心霊主義です。
その意味では密教も「シャーマニズム」になります。
「アニミニズム」は自然界にも霊的、精神的価値を認め、崇拝することです。
代表的なものに山自体が神様の神奈備、石に神が宿る磐座、木に神が宿るご神木や神籬などがありますね。
「祖霊信仰」とは自分の祖先との霊的な繋がりを尊重し、慕い敬うことです。霊的に守っていただいたり、導いていただいたりするイメージですね。
今は仏教のイメージがあるかもしれませんが、もともとの仏教の死生観は「輪廻転生」で、生まれ変わるのです。
なので、祖霊信仰は神道がもとになります。
仏教が伝わり、六道輪廻の「天上界」と祖霊信仰の共通する部分が概念として融合したのだと思います。
そして、応仁の乱以降から、江戸時代初期の寺請制度によって、檀家制度が確立してお墓といえば仏教となったようです。
仏教も飛鳥時代から江戸時代になるまでにお互いの知識やシャーマニズム技術が融合しています。 そして、仏様の悟りに至るための方法を、書物の解釈についての知識や儀式で伝える学術派と、神道と融合して神仏霊魂との付き合い方や儀式で伝えるシャーマニズム派と建て付けが大きく分かれました。 それぞれ重きを置く自己啓発の鍛錬方法と生活習慣が異なり、時代によって方法論を開発して宗派で分かれていっています。
最近は古墳がクローズアップされていますが、神道由来で、「シャーマニズム」と「アニミニズム」と「祖霊信仰」が合わさったものになります。
余談ですが、都市伝説的なことを自分の実感から申し上げると、
今までの運用から察するに、日本の「シャーマニズム」は神霊との交信です。祟りなどの危険な面があるから、厳格にルールを守る、信頼のおける人物以外には隠されているということだと思います。
だから秘伝であり口伝なのです。古武道と同じです。型があり実践があり応用があります。
スピリチュアルの実践
今ではパワースポット巡り、神社めぐり、ヨガ・瞑想、ダウジングなど、一般的になった実践もあります。
また、お墓詣り、温泉巡り、森林浴もスピリチュアルの実践です。
これらは簡単な知識とその身があれば他人が関わらなくても実践できます。やめるのも簡単です。
悪い話を聞くような心霊スポット巡り、コックリさんは、スピリチュアルの実践としては、身を護る知識がない人にはお勧めできません。
古来から伝えられて実践されてきた鍛錬方法があります。
筋トレと一緒で、やり方はいろいろあります。
武道と一緒で師匠がいれば、その感覚がどういったものなのか、正しい方向に進んでいるかどうかを確認することが可能になります。
まずは、お墓参りで、親しいなじみのある人に会いに行くような気持ちで、心を込めて清掃し、気持ちを込めたお供え物を供えて、祖霊の慈しみに対する日頃の感謝を伝えてみたり、悩みを相談してみてください。
今回はここまで。
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