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【短編】『美しき欲情』

美しき欲情


※この作品内には、一部性的な表現や暴力的な描写が含まれます。

 スーパーのレジ打ちの音で、私は興奮する。その感情の高まりは、特に決まった目的を持っているわけでもなく、シンプルに興奮するのだ。ストレスが解消されるわけでもなく、何かの欲求が増すわけでもない。それは名前のない些細な感情だ。

 ピッという音が響く一瞬の間にあらゆる出来事が起こっている。商品のバーコードが読み取られ、その情報にセンサーが反応する。情報は電子回路を伝って目の前のパネルに映し出される。合計金額は加算され、その分消費税も足されている。再びピッという音が聞こえ、一つ前の商品はまるで退職届を出したあとのサラリーマンのように出し抜けに関心が失われる。ピッという音は、商品が単なるモノとして烙印を押される悲劇的な瞬間なのだ。私はその瞬間に興奮する。心の奥底から自分の意思に関係なくそれは湧き上がってくるのだ。

 ナスやキュウリ、ニンジンの入ったレジ袋を持ってスーパーを出ると、空は私を丸呑みするかのように灰色がかっていた。今にも雨が降り出しそうだった。スマホの画面には12:15と数字が映っていた。私は自転車のハンドルバーにレジ袋をぶら下げて全速力で家へと戻った。右足が前に回ってくるたび袋は激しく揺れた。

 玄関のドアを開けると、黒や赤のハイヒールが地面に散乱していた。家を出る時はいつも急いでいるため、玄関の汚さに見て見ぬふりをしてしまう。

 隅に自分のものでない黒のスニーカーが一足綺麗に置かれている。リビングの方から男の声がした。マサヤだった。私はレジ袋を冷蔵庫の前に置いて、洗濯物や化粧道具で溢れかえったリビングを見てため息をついた。彼は洗濯物をソファから床に落としてくつろいでいた。

「ごめんなさい、こんな早く来ると思ってなくて」

「昼過ぎに行くって言ったよね」

「はい。すぐに片付けます」

 マサヤは視線を袋の方に向けた。

「先に、冷蔵庫にしまったほうがいいんじゃない?」

「いいんです、あれだから」

「そうか」

 不潔な部屋にマサヤは意外と馴染んでいた。彼は自分の身なりを気にする方だった。しかしその格好は私にはあまり魅力的には感じなかった。チェック柄のシャツの下にブラウンのスラックス。いかにも下北沢にいそうな学生のようだった。しまいには、ワックスを必要以上に髪に塗りたくり、暗い部屋の中でも外からの光の反射が目立った。彼はそれを清潔と思っているらしかった。


 私は洗濯物をたたみ終わると、下着を一着持って浴室へと向かった。ちょうど中からマサヤが出てきたところだった。

「終わった?」

「はい」

「シーツは?」

「替えました」

「そう」

 マサヤはなぜか不満げな顔を見せた。同じチェック柄のシャツを着ると、私などそこに存在しないかのように平然と鏡の中の自分を眺めて髪を乾かし始めた。やけに細かい男だと思った。――どうせすぐに脱ぐというのに。私はわざと強く扉を閉めた。浴室に毛髪が一切落ちていないのが気に食わなかった。どうせ私のスポンジすら使わずに体を洗っているのだ。


 ベッドの上で待ちくたびれたようにマサヤはスマホを眺めていた。

「遅いよ」

「ごめんなさい」

「もういい。始めよう」

 彼は力強く私の下着を引っ張ってベッドの中に引き寄せた。いきなり彼の口が私の体を攻撃してきた。私は小さく喘ぎ声を立てた。彼は徐々に服を脱いでいき、全裸になった。

「ちょっと待ってください」

「動画?」

「はい」

 私はスマホを手に取って、すぐに動画アプリを開いた。もう何度も再生されているために、その動画は上部に表示されていた。動画が再生されると、たちまち寝室にはスーパーのレジ打ちの音が響き渡った。彼は私の下着をゆっくりと外して、手の甲を滑らせた。私はすでにレジ打ちの音に支配されていた。連続して響く機械音が私の欲情を勢いよく高めた。彼の手は徐々に私の局部の方へと接近していった。私は目を瞑って自分との対話を開始した。

 もっと焦らして。

 そう、そうやって周りをくすぐって。

 うん。それでいいの。

 彼の指先は、躊躇なく私の中へと入った。引き抜くと同時に、ちゅるりと液体のが溢れる音がした。

「ちょっと待ってろ」

 マサヤはそう言うと、全裸のまま部屋から出ていった。リビングの方で袋を漁るような音が聞こえた。私はうつ伏せになって腕をスマホに伸ばした。レジ打ちの音が流れ続けていた。画面を閉じると、時刻はすでに十五時を回っていた。私はふと、今夜テレビで放送する特番の録画予約を入れ忘れていることを思い出した。あとで録画を忘れないようにしないと。私は自分の頭のノートに書き記した。ドアの向こうに目を向けると、マサヤの細い影がドア越しに見えた。私は再び動画を再生して仰向けになった。

 今日はニンジンが選ばれたようだった。ピーラーで皮が剥かれてつるりと光っていた。マサヤは私の上に再び覆いかぶさると、左肘を私の耳元に置いた。右腕には先の丸いニンジンが握られていた。

「いい?」

「はい」

 マサヤはモノを使って遊ぶことを好んだ。最近は野菜にハマっているが、以前は醤油やドレッシングの容器などを使うこともあった。彼の気分とともに私の中に入るモノは変わっていった。今日は彼から家に行くと急に連絡が入り、私は急いでスーパーまで野菜を調達しに行ったのだ。野菜は夕飯の料理にも使うため、なるべく大きいものを選んだ。

 彼の射精はあっという間だった。モノを行為に使う理由は主にこれだった。自分の体だけでは長く続かないのだ。しかし私にとってはどちらでも良かった。彼のいちもつも、彼の選んだモノも、私に直接的に快感を与えるものではなかった。後ろで流れるスーパーのレジ打ちの音によって私の体は刺激を感じていた。肉体的な快感はむしろ、補助的な存在だった。


 私は、次第にマサヤの体を求めるようになった。彼から連絡がないと、衝動を抑えきれずに自らモノを挿入することもあった。マサヤが家に来ると、私は安心した。彼はいつものように散らかった部屋を非難し、自分の清潔さを見せつけてきた。しかし、彼からの叱責はすでにその意味をなさなくなっていた。もはや私にとっての褒美となっていたのだ。私は自分が貶される時、見下される時が一番気持ち良かった。そしてその男によって自分の体が攻撃された時、今までにない快感を味わうことができた。私の体が誰かの欲情によって弄ばれている状況に、自分があたかもその者を支配しているように思えたのだ。


 マサヤの使う道具も徐々に過激化していった。時には掃除機の先端を外した状態で、私の局部を激しく吸い取ったり、ある時は料理用のブレンダーの芯を当ててきたりすることもあった。私は彼の乱暴さを極限まで試されている自分に誇りを持てた。これは他の女には消してできない、私だけが彼にしてあげられることだった。

 私もマサヤに対抗しとうと、貯金をかき集めて本物のレジ打ちの機械を購入した。 彼が私を突く度に私は身体中に貼り付けられたバーコードを読み取った。その瞬間私の興奮は絶頂を迎え、すぐに新たな興奮を欲するように仕組み化される。私たち二人は、どこまでもお互いの刺激を求め合った。


 ある日を境に、マサヤとの連絡が途絶えた。私がマサヤの死を知ったのは予約した番組を見ようとテレビをつけた時だった。彼の死が私にとって何を意味するのか、その時はまだはっきりとはわからなかった。身近な人が亡くなって悲しい。肉体関係の相手がいなくなって寂しい。私に待ち受けていたのは、そんな単純な感情ではなかった。

 私は夕飯の食材を買うためにスーパーにいた。入り口を通った時に妙な感覚を覚えたが、すぐに奥の棚へと歩き去った。ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、豚肩ロース。一通り食材をカゴに入れてレジに並んだ。スーパーは人に溢れかえっている割にやけに静かだった。徐々に自分の順番が近づいてくると、目の前で起きていることに私はたちまち言葉を失った。レジを打つ音が全く聴こえないのだ。レジの目の前まで来ても、エプロンを着たおばさんの声だけが私の耳に入ってくる。しかしバーコードを読み取る時は、おばさんの声は聴こえなくなる。やはり、レジ打ちの音を私の耳は受け入れなくなっているのだ。私はその場で悟った。私が失ったものは、マサヤだけでなく、私自身であったと。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

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