ぼくの好きなもの(小説編①)
みなさん、こんにちは。
ぼくの好きなものをいろいろなジャンルにわたって紹介する、「ぼくの好きなもの」シリーズ。
今回は「小説」編です!
ぼくは、小説を書いたりエッセイを書いたりと、文章を書くことを活動のメインとしている人間ですので、当然本を読むことが大好きです。
で、読む本の傾向も、さまざまです。
小説、ノンフィクション、ライトノベル、絵本、コミック・・・といった感じで。
今回は、そのうちで小説、もしくはフィクションというジャンルに入るもの
の中から、好きなものを5冊選んでみます。
(好きなものがこの他にもたくさんあるので、たぶんまた続編を書くことになると思い、①としました。)
フィクションといっても、そのサブジャンルはさまざまなものがあります。
いわゆる純文学、ミステリー、SF、ライトノベル・・・。
そんな中で、今回ぼくが選んだものはサブジャンルもバラバラです。
でも、すべてをとおして共通するテイストがあるのでは、と思っています。
そのテイストを感じ取っていただけたら、そしてさらに、これらの本に興味を持って読んでみよう!と思っていただけたら、とてもうれしいです。
なお、このレビューはあくまでぼくの好きな本の一部について、その内容をかんたんに紹介し、興味を持っていただくのが目的です。
深い考察などはしておりません。
そこはご理解ください。
各本とも、外観・装丁・価格などの情報を知りたいかたのために、Amazon.co.jpの該当ページへのリンクをつけました。
ぼく個人的には実店舗の書店が好きで、実際に買うときも実店舗であることが多いです(電子書籍はKindleです)。
ネットショップや電子書籍ももちろん便利だしよいですが、できればぜひ書店で実物を手に取りパラパラとページをめくって、その感触を楽しんでほしいと思います。
それでは、はじめましょう!
S. モーム / 月と六ペンス
「小説」というジャンルの中で、おそらくいちばん自分がシンパシーを感じる作品が多いと思う作家が、サマセット・モームです。
この作品はそのモームの小説の中でも、ぼくのイチ押し。
最も完成度が高く、かつモームの持ち味がわかりやすく出ていると感じるからです。
ストーリー。
放浪の画家、ストリックランド。
彼は株の仲買人(現在でいう証券マン)という仕事をしており妻子もいる、客観的に見てもめぐまれた身分の男だったが、40歳を越えて、突然妻子を捨て、画を描くという道を選んだ。
あちこちを放浪し、自分の芸術を追求するために何人もの他人を犠牲にし、その最後はタヒチに安住の地を見出した。
いったいなぜ、彼はそこまでして自己の芸術を追い求めたのか?
彼と偶然関わりを持つようになった作家の「私」は、何度か出会ったときの彼との会話、また彼と関係のあった人から見聞きした出来事をとおして、ストリックランドというかんたんには理解しがたい性格を持った芸術家の実像を描き出そうとする・・・。
この小説のテーマは「芸術」と「人間」です。
「美を探求するという、なにかおそろしい欲望」に取りつかれてしまったひとりの人間の運命を描き出した作品です。
ストリックランドという、40歳を過ぎるまでは平凡だが、他人から見ればそれなりに恵まれた人生を送っていたと見える男。
それが、あるときから美を追求するという内なる欲望が芽生え、それが抑えられないほど強くなっていき、人生の目的のすべてを支配するようになる。
そして、その目的のためには他人に迷惑をかけようが犠牲になろうが、なんの躊躇もなくなるほどの性格に変わっていく。
いや、彼はもともとそんな性格だったのか。
「美」というものに取りつかれた人間の狂気ともいうべき一面と、同時にそれを手に入れるために冷徹なまでの努力を惜しまない正気の一面。
そんな人間の矛盾する性格を見事に描き出しています。
モームという人は、かなりの皮肉屋で物事をシニカルにとらえる人。
そのことは、この小説でも他の作品やエッセイでもよく表れています。
かといって、愛のない人かというとそういうわけでもなく、人間をシニカルに見つつも、愛を持って観察しているということがわかるのです。
それは、たとえば語り手の「私」がストリックランドの言動や、ほかの登場人物たちを描写するさまによく表れています。
その、繊細で細かな人間心理の描き出し方。
それを味わうことも、この小説の楽しみです。
ストリックランドは実在の画家ゴーギャンがモデルだということはよく知られています。
ですが、それはあくまで基本設定を借りているだけです。(株の仲買人をだったこと、キャリアの途中から画家を目指し始めたこと、晩年をタヒチで過ごしたこと、登場する作品の一部の描写が似ている、など)
ゴーギャンの生涯や作品からインスピレーションを得てはいるけれども、この小説の大半はモームの創作であると言っていいでしょう。
人間は矛盾に満ちた存在であるということ。
そして、日々の生活、金、虚栄にとらわれて生きる人間が多い中で、永遠の「美」というような、おそらく人間には永遠に到達できないであろうものに心をとらわれて生きる人間もまたいる。
タイトルの「月と六ペンス」には、おそらくそういう意味がこめられています。
いまはやりの表現でいえば、ストリックランドの性格は「サイコパス」的とも言えるのかな?
ぼくはこれを読んでいると、たびたびスティーブ・ジョブズを思い起こします。
彼はストリックランドほど残忍ではなかったかもしれませんが。
でも、そういうレッテル貼りや先入観でこの小説を読むのは、作者モームが最も嫌うところでしょう。
先入観はぜんぶ捨てて、この物語を思いっきり楽しんでほしいです!
これを読んでハマったら、モームのほかの作品も読んでほしい。
きっとモームが一生の友となるかもしれませんよ!
2. J.D. サリンジャー / ライ麦畑でつかまえて
言わずと知れた、超有名小説。
作品そのものの内容以外のところでも、さまざまなところで話題に上がったり、物議を醸したり、と騒がれがちな一作です。
でも、作者サリンジャーが描きたかったのは、十代の若い人の偽りのない、飾らない「本音」だけだったんじゃないでしょうかね。
ぼくはそう思います。
ストーリー。
高校を成績が悪いため中退となったホールデン・コールフィールド。
彼が、高校の同級生たち、寮を出ていきニューヨークへ向かう途中、そしてニューヨークの街で出会う人々や女性の友人たちとのやりとり、妹のフィービーとの交流を中心に、自分の思いのたけを饒舌な口調で語る。
あはは、こんなふうにしかあらすじの書きようがない内容ですねw
不思議な小説です。
大した起承転結もなく、たわいもないエピソードが連続するそのあいだあいだに、ホールデンの思っていることや不満、好きなことなどの話がはさみこまれる、複数の短編がつながっているような小説です。
作者サリンジャーには自己の発表した短編小説からできのよいものを自選した「ナイン・ストーリーズ」という短編集があります。
こちらはどれも本当にすばらしいできばえで、彼がよく「短編の名手」と呼ばれるのもうなずけるのですが、「ライ麦畑~」はそのような短編をぜんぶつなげたような構成です。
そのような、中編小説としては構成的に必ずしも完成度が高いとはいえないものであるにもかかわらず、なぜこの小説がいまだに世界的に人気なのか。
それは、主人公ホールデンの目をとおして見える世界、そしてホールデン自身の心のさまよいが、青春期の人間の心のうちにある「普遍的な真実」を表現しているから。
それが、青春小説の名作としてこの作品がいまなお色あせず、支持され続けている理由なんだと思います。
発表当時、ホールデンのことば遣いや文中で語る思想、暴力シーンや娼婦とのシーンなどが、米国を中心にたいへんに問題となったようです。
しかし、いま読んでみるとそんなに問題になるようなことか?と思う人も多いでしょう。
それくらい、ある意味すらっと読めてしまう小説です。
でも、たまらなく魅力あるんですよねー、この話、この文体、登場人物!
ぼくがこの作品を初めて読んだのは十代のときで、主人公とほぼ同じ年齢だったと思います(主人公ホールデンの年齢は17歳)。
もし現在そのあたりの年齢の人、この小説を読んだことがなかったら、ぜひお読みになることをおすすめします!
同じ年ごろのときに読むほうが、より「自分ごと感」を感じられます。
(もちろん歳をとってから読んでも、またちがった味わいがあります)
ちなみに、ぼくはここで紹介した野崎孝さんの訳が人生で最初に触れたバージョンで、いまでも愛着がありしっくりくるのでこれを愛読しています。
若い人には、より新しい村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のほうがわかりやすいかもしれません。
このへんは好みなので、これからお読みになるかたは書店で読み比べしてみて、しっくりくると思ったほうを選ぶとよいと思います。
とにかく、青春小説の名作!
「若さ」を語るなら、はずせない一作です。
3. 伴名練 / なめらかな世界と、その敵
実は、ぼくの記憶している限りでの最初の読書体験(雑誌やマンガなどを除く、単行本や文庫本などの読書体験)は、SFなんです。
浅倉久志さん編・訳のSF短編集の本を母親が持っていて、それを借りて読んだのが最初。
収録された作品はどれもおもしろかったのですが、なかでもロバート・シェクリイの「救命艇の叛乱」(これがこの本の表題だった)という作品がとても印象に残っています。
ほかの惑星での話なんですが、異星人(の遺した、意識を持つ乗り物)との交流?ともいうべきストーリーで、最後にちょっとほろっとさせるオチで、子ども心に感傷的になったのをおぼえています。
この伴名練の本は、彼がいままでに雑誌などに発表した短編を集めた自選短編集。
彼は(性別を明らかにしていないので、もしかしたら女性かもしれません)SF作家としては新しい世代に属すると思いますが、若い世代らしいテイストがこの短編集に収められた短編小説ひとつひとつにちりばめられています。
SF、ラノベ、百合、ジュブナイル、並行世界・・・。
こうしたいろいろな要素が、絶妙なバランスにブレンド。
そしてあっと驚くような意外な展開。
それが、彼の小説の魅力です。
ストーリーの一部を。
「なめらかな世界と、その敵」
複数の並行世界を自由に行き来することができるのが当たり前になった近未来社会に生きる葉月と、彼女のクラスに転入してきた、長らく会っていなかった幼なじみのマコト。
マコトはなにか事故に遭って体に後遺症が残っているらしいが、彼女はそれがなんであるか明かそうとしない。それどころか、以前とはまったく別人のように、葉月にも愛想も悪くなってしまっている。
いったいマコトには、葉月の知らない間になにが起こったのか・・・。
「美亜羽へ贈る拳銃」
脳に対するインプラント技術の発達によって、神経ニューロンに作用し、「特定の人間を永久に愛し続ける」よう改造できるようになった。
たとえば、カップルがおたがいに永遠に愛し続けられるよう、このインプラント「WK」を注入することで、別れることなく永遠の愛を保ち続けることができるのだ。
そんな最新医学技術の開発競争の中にまきこまれた、神冴美継(かんざえみつぐ)と北条美亜羽(ほうじょうみあは)の二人。
二人の、不可能な恋物語とは・・・。
などなど、全6編。
いずれも、ほんとうにあざやかなストーリーに心が動かされます。
これぞSF!って思ってしまう醍醐味が味わえます。
作者の、既存のSF小説読書量は半端ない量のようで、さまざまな作品からのオマージュも多く入っています。
作品によっては、過去の歴史をある程度知っていないととっつきにくい内容のものもあります(ソ連・冷戦時代とか、明治時代など)が、文体はラノベっぽく読みやすいので、知識がなくても問題なく理解できるでしょう。
とはいえ、テーマは深く、ときに重いものも多いです。
また彼は、ほかの作家によるSF小説のアンソロジー編者としても評価が高く、何冊ものSFアンソロジー本の編者もしています。
それらのアンソロジー本も、SF入門として最適かもしれません。
とにかく、いまSFというジャンルでまず読むならだれ?
と問われれば、まっさきに挙げたい人のひとりです!
4. A. クリスティー / オリエント急行の殺人
これもおそらく知らない人のない、ミステリー小説(むかしのことばで言えば「探偵小説」)の傑作。
ストーリーの一部を。
名探偵エルキュール・ポアロはシリアで駐留フランス軍に関わるある事件を解決したのち、別の事件のため至急ロンドンに帰らなければならなくなり、イスタンブールからカレー行きのオリエント急行列車に乗ることに。
しかし、なぜか一等車がいつにない満員という状況の列車が出発して、大雪の中で立ち往生する中、ひとりの乗客が刺殺されているのが発見された!
ポアロはともに乗車した鉄道会社の重役で知人ブークの依頼で、乗り合わせた乗客のコンスタンティン医師とともに犯人を捜すことになるが、乗客には全員アリバイがあった・・・。
もう、ぼくがいまさら説明することもないミステリーの古典的名作です。
ですが、ぼくなりにこれを読んで感じていることを少しだけ。
この作品、映画やTVドラマなど何度も映像化されています。
ぼくも最初の出会いは、2010年のTVドラマ「名探偵ポワロ」中の1編『名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」』です。
デヴィッド・スーシェさんがポワロを演じた有名なシリーズですね。
(上記ドラマシリーズのみ、ポアロの表記が「ポワロ」となります。)
これに次いで、1974年の映画版「オリエント急行殺人事件」(シドニー・ルメット監督。ポアロ役はアルバート・フィニー)を観たと記憶しています。
で、原作と比較して思うのは、スーシェさんポワロの「オリエント急行」は時代は原作の設定どおりなんですが、現代のモラル観にブラッシュアップされていて、「現代版オリエント急行」なんです。
くわしいことをここで言うと話の筋がわかってしまうので言えないのがもどかしいですが・・・。
しかし、原作の価値観は現代の価値観とは異なります。
「とんでもない悪事を犯した極悪人なんだから、殺されても当然だろう」
が一般にも広く共有されるような価値観だったのですね。
クリスティー自身そのような価値観で描いていますし、1974年映画版の時代でも、まだその価値観は変わっていませんでした。
そういう意味では、原作のテイストに近いのはどっちだ?と言われたら、細かい個々の描写はともかく、この事件に対する基本的な観点は、1974年映画版のほうが原作に近いと感じるのです。
そこが、スーシェさんオリエント急行とは大きく異なります。
(ケネス・ブラナー監督・主演による2017年映画版をここではまったくスルーしてますが、あれは・・・ねえ・・・笑)
まとめ。
ミステリーをふだん読まない人であれば、あっと驚くラスト。
でもそこに至るまでの、登場人物ひとりひとりの描写のすばらしさ。
アガサ・クリスティーがただの推理小説作家でない、こうしていまでも世界中で読まれ、残り続けている理由は、まさにこうした人間描写の見事さにあるのだと思います。
アガサの小説は、ほかにも名作・傑作ぞろいです。
ぜひふれてみてください。
5. 三上こた / とってもカワイイ私と付き合ってよ!(1~3)
最後はライトノベル。
いわゆる「ラブコメ」ものです。
ぼくはライトノベルをそんなに多く読んでいるわけではないですが、その中でもこの作品は、主人公二人の心情描写がひときわすばらしい!
と感じられた一作です。
ストーリーを。
RPG好き、クラスで孤独ないわゆる「ぼっちの陰キャ」である和泉大和(いずみやまと)が、ある日突然クラスいちばんの人気者リア充女子七峰結朱(ななみねゆず)から、交際を申し込まれる。
その理由は、彼女がいつもなかよしグループとして付き合っている友人たちとの人間関係である問題が発生したことから、それを回避するために自分の彼氏を装ってくれ、つまり「偽装カップル」になってくれ、というものだった・・・。
あー、ここだけ書くと、いかにもラブコメにありがちな設定ですねw
しかし、この小説はひと味ちがいます!
男主人公はぼっちの陰キャ、ヒロインは才色兼備、クラスの人気者(だけど実は闇な一面がある)という、ラブコメあるあるな基本設定も踏襲していながら、この偽装カップルがさまざまな経験を経てじょじょにお互いの知らなかった面を理解し合い、魅かれるようになっていく。
その心の移り変わりの描写が、ずばぬけてうまいのです。
また、途中から登場する、大和の中学時代のクラスメイトで同じバスケ部だった友人、柊日菜乃(ひいらぎひなの)が、とてもいい感じで二人の恋の行方にかかわってきます。
全3巻なので、さらっと読めます。
けど恋愛青春小説として、とてもさわやかな読後感。
おすすめです!
以上、今回の「ぼくの好きなもの(小説編①)」。
興味のある小説がありましたら、ぜひ読んでほしいです!
それではまた!