経験談は本当に人を救うことができるのか?
今回は、わたくしマチヨルがこれから実験していきたいと考えている上記表題について、なぜ実行に移すことが出来たのか?のきっかけのお話。
結論から言うと、満を辞して?noteを始めたきっかけは、あるとき友人に
『マチヨルの経験は誰かを救うんだから。マチヨルはそういう人だよ』と言ってもらえたことでした
これはあんまり関係ない情報だけれど、その友人はいわゆる幽霊見えちゃうほどの感覚の敏感な方でして。
当のわたしは全く見えない人間なので何かの感覚で何かを言われても極度な否定も肯定もしないですし、かといって陰謀論やスピリチュアル系も嫌いではないので見聞きはすれど
やはり最終的には自分自身の五感を信じるタイプです。
ただ人並みに好奇心はあるし、大切な人を亡くしている経験もあるので前世とか運命とか護ってくれている存在とか、ちょっぴりロマンを感じます。
が、基本的にはそれも一周回って盲信しない程度に今を生きること重視な程度に捉えてます。
ここでマチヨル、心底腹割って話せるような友達が少ない問題を自覚している件について
わたしも自覚してるんです。
腹を割って話せるような友達が少ないこと。
陽キャと呼ばれているみなさんはどれくらいいるんでしょうね?
夫にも言われるのですが、わたしは限りなく陽キャに見えるのに根暗陰キャ。
舞台やLIVEに行く以外は1人で部屋にいることが何よりの至福。
ここは笑っていただいて大丈夫なところです。自覚しているので。
だからコロナ禍で外出自粛とか全然苦痛ではなく、むしろ気がラクなタイプでした。
20代前半までは何でも人にお喋りしてたようにも思うけど
やはり学校と職場は違うし、年々周りもみんなライフスタイルが変化していく中それぞれの生活で頑張って生きていて。
なので何かを話す時って人の時間をいただくことだから遠慮ももちろんありますし。
なんて、実はこんなキレイゴトだけではない。
これまでの人付き合い経験の中で、これはもうダメっていう傷があるからだろうか・・・心の中で千引きがあるというか。
言うなればきっとそれはたぶんいろいろな経験の中で、人に対する軽蔑とか潔癖に近い『何か』を自分自身の中に作ってしまって、
その『何か』に自分自身で怯えているだけなのかもしれないのですが。
例えば、わたしが誰かとマンツーで腹を割って話した内容が、当日ないし後日わたしが直接話してもいない他の誰かがいつの間にか内容を知ってたら。
これはもうアウトですね。大文字にするとこだった。退場案件。
個人的に、こういう人種の方に潔癖性が発揮されてしまうんですね。
だから普通に、そこでの話はそこだけで止めてくれるだけで良いとも言い換えられるほど簡単なものなのに、大多数の人間ってそうもいかないんでしょうね。
自分が話した内容を言いふらされたことで、今までいくら傷ついて来たか!
本当に数知れません。
本当に数shire・・・・・・・・・・・・・・・()
人に言いふらされるよりも、自分自身の言葉で表現して伝えるということは特別な感じがするから
話が逸れましたが、そんな数少ない敏感体質でありちゃんとプライバシーを守ってくれる貴重な友人に言われたのが
『マチヨルは経験談で人を救うよ』
という、個人的には衝撃なメッセージでした。
誰かを救うなんて恐縮な。
でも結局はそんな誰かがいてくれることで、もしそれが本当に実現するのなら、みんなで嬉しくなれる瞬間も生み出せるのかもしれないなって感じました。
自分までも嬉しくなって、開示したことで救われるような気もして。
ならば。マチヨル、動きます。
と、いうわけでわたしの数少ない友人の敏感さと真心を信じて、ちょっとずつ自身の経験をきちんと自分自身の言葉で世間のみなさまに公表してみようと思うに至った次第です。
おそらくわたしの人生は普通に暮らしてる人よりはきっと壮絶だった(と、この際もはや過去形に昇華させたい)し、もしかしたらめちゃくちゃ壮絶な人からしたら壮絶の足元にも及ばないかもしれない。
上見りゃキリない、下見りゃキリないとはよく言ったもんです。
でもここのnoteでだけは、どうかマチヨルの人生は壮絶だったんだと言わせてほしい。(マチヨル比)
なぜならあの時、自死を選ぶ元気もなかった。
息を吸うことも、細胞が生きようとしていることすら辛かったから。
わたくしマチヨルの生きてきた短くも長い経験談をポツポツと始めてまいります。
どうか救われる方、笑ってくださる方が世界に1人でもいてくださればとても幸いです。