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新たな環境|壊れていく心

中学3年の秋、継父の実家へ1人で引っ越した。
2度ほどしか会ったことがないので印象という
印象も残ってない祖父母との田舎での生活。
それでも不安より、転校できて母とも離れられる喜びの方が大きかった。

前の学校と違い1学年1クラスの小さな学校。
あまりの違いに驚いたけど、
前の学校の同級生や、いじめを見て見ぬフリしていた教師みたいな人は一切いなくて、とても恵まれていると感じた。
大人になった今でも連絡を取り合える友人もできた。

祖父母とは距離感はあったものの
2人とも本当に優しくて
ご飯は1番美味しい時にと出来たてを用意してくれる
温かいお風呂にゆっくり入らせてもらえる。
風邪をひけば病院へ連れて行ってくれる。

祖母は元々料理上手であったが
「おばあさんの作るお弁当だからって、茶色いものばかりだと可哀想」と、誰よりも彩りよく綺麗で可愛いお弁当を作ってくれた。

祖父も口数は少ないが
初登校の日は帰宅を玄関前で待ってくれていたり
近所を歩いて案内してくれたり
テレビのチャンネル権を譲ってくれた(笑)

ここでは書ききれないくらいに
優しく温かく 血が繋がってないなんて感じさせないくらいによくしてもらった。

けれど、母からは毎日祖父母宅へ電話があった
子機の受話器を上げると会話が聞こえるようになっており、永遠と私のダメなところなどを 嘘も交えて祖母に吹き込んでいた。

想定外に祖父母との暮らしに馴染む私が気に入らなかったようだった。
こんな手口で、今まで何人も私の周りから
私の大切な人を取り上げていった母。
でも唯一、祖父母はそれに靡かなかった。
ただ、母に靡かない祖父母を100%で信じられない自分もいた。

中学校を卒業した私は
そのまま祖父母宅の近くの高校へ進学した。
両親達は学区内で引越しをしており、その新居に私の部屋はなかった。帰る場所はなかったのだ。

一時は安定したかと思えた私の精神は
母と離れたことで緩み、一気に転がり落ちた。
感情のコントロールができず、自傷行為が辞められない。食べたものは嘔吐し、漠然とした不安も強く眠れなくなった。

そんな状況に担任から精神科への受診を勧められ、自分でもおかしいと思い受診を決意。
高校1年の冬に初めての精神科を受診した。

母には黙っておくつもりだったが、そうもいかず
祖母が受診のことを伝えると 母は電話口で激昂。
私を激しく罵った、それ以降のことは何を言われたか覚えていないが、近いうちに母と会うことが決まった。

突然プツッと全てがどうでもよくなり
希死念慮が続いていたところへ
トドメを刺された気がした。
逃げ場もない、誰も守ってくれない
自分で立つこともできない、
全てを諦めるしかなかった。

つづく

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