咲希

毒親育ち 必死に足掻いている30代、2児の母 大したことないかもしれないけど 必死に生きてきた これまでのマイニチと まだまだ続くこれからのキロク

咲希

毒親育ち 必死に足掻いている30代、2児の母 大したことないかもしれないけど 必死に生きてきた これまでのマイニチと まだまだ続くこれからのキロク

最近の記事

高校2年生、開放病棟入院④

身バレ防止の為、一部有料としています 16歳で精神科の一般病棟へ入院している というのが珍しかったのか 知らぬ間に、院内での私の認知度が上がっていて 他病棟の知らない患者さんから 声をかけられることも多かった。 故に "明るく笑顔でいないと" という思考になっていき、 調子が悪くて入院しているのに 他の患者さんの話し相手になったり、 強迫症の患者さんのお願いを断れず、 病室にいても呼び出されて 点滴棒に縋りながら手洗い見続けたりしていた。 そんな日々に疲れてしまってい

¥100
    • 高校2年生、開放病棟入院③

      前回同様、病院だとお腹があまり空かなくて 祖母の持ってきてくれるお弁当は食べるけど 病院食は摂取量をどんどん減らした。 18歳以下はおやつも出るけど それすら手をつけるのが怖かった。 毎日、体重計に何度も乗っている私を見て 見るからに細い摂食障害のお姉さんが "体重気になるの?"と声をかけてくれ デイルームで会うとよく話すようになった。 洋服をいただいたこともあって こんな細い人が着てる服が入る!ってことが すごく嬉しかった反面、まだまだ太ってて もっと痩せて綺麗に着こな

      • 高校2年生、開放病棟入院②

        入院して恐怖感は和らいだけど 不安や希死念慮はずっとあって 文具で自傷行為をして一晩処置室で過ごしたり 落ち着かずに筋肉注射をすることも何度か経験した。 そんな生活でも慣れてくると ほかの患者さんとも会話したり お菓子の売買をしたり(本当は禁止) 特に20代のお姉さん方とは おかずの交換をしたり(これも禁止) 食後に一緒にウォーキングとして 院内を一緒に歩いたりして仲良くさせてもらった。 お姉さん方もそれぞれ複数回入院歴があり その繋がりで、他病棟の若い方とも仲良くなるこ

        • 高校2年生、開放病棟入院①

          朝、目覚めると景色が違って "あぁ、入院したんだった"と思った。 今回の入院は開放病棟。 前回に引き続き、病棟内最年少。 前回の入院は個室だったが、今回は4人部屋。 一般の病棟と比べると1人のスペースはかなり広め。 統合失調症のような、おばあさんが2人と 摂食障害と不潔恐怖のお姉さんが1人。 開放病棟なので 1日2回の所在確認時以外は 基本的に建物内は自由に動ける。 外に出るのは敷地内であっても 主治医の許可がある場合のみで 出る時間、戻る時間を ナースステーションで申

          退院後の初外来

          閉鎖病棟へ入院した日以外は 入院前からずっと1人で通院していた。 祖母は付き添おうとしてくれたけど 申し訳なさと、1人になりたいのとで ずっと断っており、この日も1人で受診した。 私は気持ちを言葉にするのが大の苦手で 言葉に詰まったり、焦って話せなかったり 悲しいことじゃなくても涙が出たりするので 診察ではノートを使っていた。 日々あったことや思いを綴り、 診察の時に先生に見てもらう。 お話もするけど、先生はノートにも コメントを毎回書いてくれていた。 退院して2週間ほど

          退院後の初外来

          高校2年生、閉鎖病棟退院

          無事進級し高校2年生になった。 4月末に退院し、GWの数日は親元で過ごした。 怖くて辛くて嫌だったけど、拒否権はない。 親元は自分の部屋もなく、居心地が悪く落ち着かず 早く祖父母宅へ帰りたいとずっと思っていた。 少し前まで入院していたなんて関係なく 自分の歪んだ思いをストレートにぶつけ 無視したり、悪口を書いたメールを送りつける母も そして、それを咎めることもなく傍観する継父も 2人とも相変わらずだった。 何より、入院したことを "咲希は頭がおかしくなったから、 もう私

          高校2年生、閉鎖病棟退院

          高校1年生、閉鎖病棟入院④

          私が入院したのは2月で、 2年生へ進級が出来るか否かギリギリだった。 担任の先生をはじめ、 学校の先生が本当にいい方で 渡される課題を終わらせることを条件に 進級を許可してもらえた。 担任はそれまでも、 よく面会へ来てくれていたが 課題が出されてからはもっと面会へ来てくれた。 「会議サボって来たよ」なんて言ってた日もあって、本当に頭が上がらないと思った。 そして面会の度に本を差し入れてくれていたことも 忘れられない大切な思い出。 学校での授業は寝ていたり上の空だったり

          高校1年生、閉鎖病棟入院④

          高校1年生、閉鎖病棟入院③

          少し時を戻して、 入院する時に体重測定があった。 それまでの食欲不振から少し痩せてて スイッチが入りダイエットに励んだ。 カロリー計算をしたり、 極端に飲む量や食べる量を減らしたり。 体重計には1回につき3回、 それを1日3回乗るのがマイルール。 頑張った分、数字に表れるのが嬉しくて やめられなくなった。 次第に食事は喉を通らなくなり 食器の蓋を開けることもしなくなった。 薬を飲む為、最低限の水分は必要で 1日200ミリまでと決めた。 ベッドから立ち上がると 目の前

          高校1年生、閉鎖病棟入院③

          高校1年生、閉鎖病棟入院②

          入院生活はと言うと至ってシンプル。 寝て起きて、3食ご飯を食べて、薬を飲んで 決まった時間の間でお風呂に入って あとは自由時間。 と言っても閉鎖病棟内でできることは少ない。 テレビを観てる人や、 デイルームで将棋や囲碁をしてる人。 作業療法がある人もいたり ずっと喫煙室へ篭ってる人もいた。 ちなみに私は部屋にいることが多かった。 当時はMDの時代でひたすら音楽を聞いていた。 ただひたすらに生きてる1秒1分が辛くて 死にたいと泣いたり、物に当たり散らして 部屋の中をめちゃく

          高校1年生、閉鎖病棟入院②

          高校1年生、閉鎖病棟入院①

          結局、両親とは顔を合わせることなく 16歳、高校1年生の冬 急性期の閉鎖病棟への入院 携帯は持ち込み禁止だったので しばらく外の世界と遮断されることになったが 不安なんてなくて、逆にとても安堵した。 入院して数日間は オーバードーズの影響で 書類の字が読めない、書けない。 日付曜日感覚がまるでない。 そして、日中はとにかく眠った。 今までどうしても眠れなかったのが嘘のように。 親の前ではダラダラすることが許されなかったので "こんなに眠っててごめんなさい" と、看護師

          高校1年生、閉鎖病棟入院①

          時間がかかる

          入院中のことをnoteに書いているけど 書くことが色々あって時間がかかっています 中断したわけではないので悪しからず。。。

          時間がかかる

          人生で1番残酷な目覚め

          目が覚めると病院で 隣にはほとんど眠らずに 付き添ってくれてた祖母がいた。 祖母はその頃、曽祖母の介護をしていたが 急遽、デイサービスを泊まりに切り替えて ずっと私に付き添ってくれていたそうだ。 "死ねなかった、なんで" ただひたすらにそう思った。 そして「親も来ている」と まるで死刑宣告のような言葉に (死のうとしたのに死刑宣告もおかしいけど) 何を言われるか何をされるか、この後の恐怖、 薬でぼーっとしている頭でも それだけはしっかり想像がついた。 でも、続けて 「面会

          人生で1番残酷な目覚め

          閲覧注意|人生を終わらせるために

          ※自殺に関する表現があります   苦手な方はスルーしてください もう終わりにしよう。 そう決めて計画を練った。 頓服薬や定期薬の飲み忘れや市販薬 全部混ぜて400錠以上。 すぐに見つからないようにすれば 当時の私はこれで逝けると本気で思っていた。 未練が残らないように 周りが自分を責めないように 色んな関係を断ち切って 後々面倒をかけないように身辺整理もした。 全ての準備が整い決行の日、 家ではすぐに見つかると思ったので 用意した薬を学校のトイレで1錠残らず飲み干し

          閲覧注意|人生を終わらせるために

          新たな環境|壊れていく心

          中学3年の秋、継父の実家へ1人で引っ越した。 2度ほどしか会ったことがないので印象という 印象も残ってない祖父母との田舎での生活。 それでも不安より、転校できて母とも離れられる喜びの方が大きかった。 前の学校と違い1学年1クラスの小さな学校。 あまりの違いに驚いたけど、 前の学校の同級生や、いじめを見て見ぬフリしていた教師みたいな人は一切いなくて、とても恵まれていると感じた。 大人になった今でも連絡を取り合える友人もできた。 祖父母とは距離感はあったものの 2人とも本当に

          新たな環境|壊れていく心

          不要な子

          第一関門、部活動。 母は"勉強が第一"と頑なに私へ文化系の部活に入るよう求めたけど、私が入りたかったのは運動系。 兄は2人とも運動系の部活で、運動神経のいい妹も運動系に入ることは確実だったのに。 体験入部がとても楽しくて、押し切って入部したものの、もちろん道具は買ってもらえないし、しばらく無視され続けた。辛かったけど部活が楽しかった。 中学1年の1学期も終わりに差し掛かってきた頃 部活を続ける私に母の怒りが爆発。 強制的に退部されられ、それを他の部員に"急に部活を辞めた裏

          不要な子

          ヒビの入った家庭

          某スポーツ選手の父、専業主婦の母、 2人の兄と私、妹の6人家族だった我が家。 ごく普通の、どこにでもある家庭だと思っていて おかしいことに気付いたのは自分が結婚し家庭を持ってから。 子どもの頃は家庭と学校が全てで その世界がおかしいなんて感じる余地もなかった。 そこそこ収入もあり幼い頃はそれなりに 楽しく過ごしていたのだと思う。 何せ、記憶がないのです。 私が小学生高学年になると 父は年齢に伴い試合の成績も落ちてきて 今までより収入が減ったことにより 母との関係が悪化

          ヒビの入った家庭