見出し画像

Twitterの相互フォローは、距離が近すぎたのかも知れません。

と、率直にそう思いました。

GREEやモバゲー、blogなど、SNSが流行しだした全盛期を経てきた身としては、自分のホームがあって、他のユーザーさんとの " 壁 " が設けられていたあの頃のSNSのほうが、居心地が良かったような気がします。

相互のフォローもお隣に越して来たといった感覚で、挨拶も交流も、相手のホームまでお邪魔をさせて頂いてコメントを残してゆくあの感じが、今となってはひどく懐かしい。

アバターの着せ替えや衣装ガチャ、クリノッペやハコニワ、各種ミニゲームやコミュニティなど。ほかのユーザーさんの日記を読みに行ったりして、顔も名前も知らない人たちとSNSのなかで交流する楽しさが、あの頃はありました。人々の心にも、まだまだゆとりや余裕があった時代だな。と感じます。

Twitterもその頃、同じように流行りだしていましたが、自分は使いにくかったので、ほぼほぼ嫌煙して、アカウントだけ作成したあとはまともに使ってはいませんでした。


最近書いた記事で、Twitter・闘病、病み垢の総評のようなものを綴らせて頂きましたが、自分も最近まで『界隈』に身を置いて、殺伐とした雰囲気に嫌気が差し、今では他者と交流することに対して気疲れしてしまった状態です。←そんな自分の性格にも嫌気が差しています

元々、楽しさを求めるような場所ではなく、同じような不安や悩み、メンタルの病や生きづらさを他者と共感し合ったり、気持ちを共有し、交流するような場所だったので。そもそもの趣旨が基本的に違う事も否めません。

Twitterは人の呟きや感情がダイレクトに表示されてしまうぶん、それによって誤解や意見の食い違い、気持ちの温度差によるすれ違いが生じやすいと感じます。

" 壁 " がないぶん、捉え方・受け取り方、呟くタイミング次第によっては、要らぬトラブルを招き兼ねない、危険な場所だと思うんですよね。

人間はそれぞれ、自分が他者に踏み入れられたくない" パーソナルスペース "を持っていると言われています。
その距離感はさまざまで、触れるくらいまで近寄られても平気な人もいれば、少し離れていても、人に対して不快感を生じてしまう人もいるなどさまざまです。
人によっては、パーソナルスペースなど関係なく、ぐいぐいと他者に接近をして、相手のスペースを悪気なく侵害してしまう人も少なくありません。
その逆のパターンで、どんなに人と適度な距離感を保っていても、お互いのすることを過敏に気にしてしまう人もいます。

パーソナルスペースというのは、動物が縄張りを主張して、要らぬ争いを避けようとする習性に似ているかも知れませんね。

TwitterというSNSは、ダイレクトにお互いのツイートが見えるよう、あえてそういったシステムや場所を設け、そこに集う全世界のユーザーの傾向や反応を、実験的に収集しているものなのだと考えますが、正直、悪趣味なSNSだな。と最近は冷めて見るようになりました。← ※ 使っているユーザーさんたちに対してではない

話しに戻りますが、" 壁 "がない、というのはこれほどまでに心理的な影響やストレスを及ぼすものなのだな、と感じます。
直接お互いの呟きや、それに込められた感情が伝わってしまう訳ですから、きちんと情報の取捨選択ができて、尚且つ心に余裕を持っていないと、容易く情報や人々の感情の渦に呑み込まれてしまう場所なのだと思います。


長々と綴ってしまいましたが、自分はTwitterは合わないのだろうな、と感じます。
その都度に嫌気が差し、リセットを何度繰り返してきたのか分かりません。
現在は備忘録としての最低限の使い方と、自分が好きなコンテンツの情報を得るだけの使い方をしています。


まわりにはあまりそういった人がいなかったので、Twitterにおける愚痴や不満として、モヤモヤとしたものをここに書き出させて頂きました。

この記事を読んで、心から「わかる!」と思ってくださった方々がいれば、私たちは恐らく少数派の仲間なのかも知れませんね。

ストレスを溜めない範囲で、SNSに呑まれてしまわないよう、上手に付き合ってゆきたいところです。



- 紫苑 -





いいなと思ったら応援しよう!