心理カウンセラー 理恵のプロフィール
はじめまして。
HSP、モラハラ、アダルトチルドレンの女性に向けたカウンセリングを行っているカウンセラーの理恵と申します。
「生きづらい毎日が苦しい」
「本当は我慢し続けている自分を変えたい」
などのお悩みに寄り添い心が軽くなるヒントをお伝えしています。
そして、1人でも多くの女性や生きづらい方が精神的にも経済的にも自立できる社会にする事をモットーに活動をしています。
なぜ、私がカウンセラーを志したのか。
それは私の波乱万丈な過去が起因しています。
最後までお付き合いいただけますと嬉しいです^^
私の母はいわゆる毒親で、7歳年上の障害を持つ兄に対して、特別な愛情を注いでいました。母は、兄を「健常者として産んであげられなかった」ことに深い罪悪感を抱いていて、「お兄ちゃんはかわいそうだから」と溺愛していました。
私は母から常に「お兄ちゃんはかわいい、あんたは可愛くない」と言われ続け、そのたびに「私も障害者だったらよかったのに」と苦しんでいました。
兄がどんなわがままを言っても、母はすべて許しましたが、私に対しては、常に厳しく体罰や言葉での虐待が続きました。
「なぜ兄弟なのにこんなに扱いが違うの?」と私は強い孤独感を抱いていました。
母から「あんたは何をしてもダメな人間」「取り柄がない」と言われ続け、自分には生きる価値がないのではないか、と感じるようになりました。
いつしか
「生まれてこなければよかった」
と自分を責め続ける日々を送るようになりました。
さらに、門限を1分でも過ぎると家に入れてもらえず、数時間泣き叫んでいました。やっと入れてもらった後には「しつけ」と称する体罰が始まります。
そんな幼少期の経験から、私は自分の感情を抑え込むようになり、我慢し続ける人生を歩み始めました。
その後、私は31歳で最初の結婚をしました。
当初は穏やかだった夫が、実は酒乱で、また風俗通いをしていたことが発覚しました。
さらに、
不妊の原因は私にあると責め続けました。
私は経済的に自立していなかったので、「我慢するしかない」と自分に言い聞かせ、辛い日々を過ごしていました。
しかし、33歳の時、ついにその状況に耐え切れなくなり、離婚を決意しました。
離婚後、私は派遣社員として働いていた企業から正社員の打診を受け、充実した生活を送っていました。
そして38歳で再婚しましたが、40歳の時に職場での人間関係のトラブルから、不眠の症状や涙が止まらない状態になり、ついには自殺念慮を抱くほど精神的に不安定になりました。
心療内科で診断を受けた結果、うつ病と診断され、通院と服薬を始めました。
その後、職場でのストレスはさらに増し、仕事を続けることができなくなり、休職と復職を繰り返し、43歳で退職しました。
それに加えて、以前からあった夫からのモラハラが悪化し引きこもるようになりました。夫は副業を始めましたが、失敗し、多額の負債を抱えました。
私の退職金で負債は返済しましたが、経済的に厳しい状況が続き、更に夫のモラハラはひどくなるばかりで毎日怯えながら過ごす日々が続きました。
そんな中、度々夫に「離婚するぞ」と言われた時、私は
「もうこれ以上、我慢する人生を送りたくない」と決意し、
逆離婚宣言を申し出ました。
夫は驚き、初めて謝罪しました。
そして「もう一度考え直してほしい、やり直したい」と頭を下げたのです。
その後、以前から興味を持っていたカウンセリングスクールで学び始めました。
そこで学んだのは
「マインドハグ」や「解決思考ブリーフ」などの心理療法です。
最も大きな学びは、何よりも自分を褒めて、許すことの大切さです。
自分に優しくすることで、心が穏やかになり、私自身人生でようやくポジティブなマインドを知ることができました。
そして…私は、カウンセラーとなりました。
現在は、同じように苦しんでいる女性に寄り添い、自立した生き方をサポートする
「しあわせ自立マインドメソッド」を提案しています。
人生に遅すぎることはありません。私自身が変わることができたのですから。
人はきっかえさえあれば変わることができるのです。
これから、1人でも多くの女性が自由に、もう一度始めるためのきっかけをつかんでほしいとの願いからこのブログを書いていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします🙇