第29回: 日本ボクシング界の闇! 「毒入りオレンジ事件」の真相を具志堅用高が語る
アダムとイヴは邪悪な蛇にそそのかされて、禁断の果実を口にしてしまい、エデンの園から追放された。思えば、最初の人間が罪を犯した時から、その渦中には「果実」があったのだ。
1980年代、日本ボクシング界もその禁断の果実に手を出してしまった。当時の協栄ボクシングジム会長・金平正紀(かねひら-まさき)が起こした「毒入りオレンジ事件」である。
この一件は同ジムに所属する具志堅用高と渡嘉敷勝男(とかしき-かつお)の対戦相手に対し、金平氏が毒入りの食物を提供しようとしていた事実を週刊文春が暴いたことに端を発し、のちにジムの審判買収や選手の酷使などが芋づる式に明らかになったことで全国民の注目を集めるほどの椿事へと発展した。
(写真: 左から具志堅用高・渡嘉敷勝男・金平正紀)
'81年に行われた渡嘉敷勝男と韓国の"龍"こと金龍鉉の試合。この試合で渡嘉敷はかつての具志堅が勝ち得たチャンピオンベルトを我が物とした。しかし、この栄光の勝利は試合後での金選手マネージャーの発言によって疑惑の名誉に堕ちる。
そのマネージャー曰く、金平氏からと言われ渡されたオレンジを、金選手が口にする前に自身で毒味をしたところ、下痢と猛烈な吐き気を催したという。この一件から韓国側は金平氏が小型注射器でオレンジに毒物を仕込んだとして同氏を糾弾した。
(写真: かつては具志堅とも戦った金龍鉉)
この一大事件は同ジムに所属していた具志堅用高にまで牙を剥いた。毒入りオレンジ事件への世間の大きな反応を見て、当時のマスコミはボクシング界の特ダネを貪欲に追い求めた。そして、具志堅時代のスクープまでを引っ張ってくる記事が出されたのだ。
時は大きく遡り、1953年。未だ破られぬ連続防衛の日本記録を持つ具志堅はこの時、五度目の防衛戦に臨んでいた。相手はパナマの怪物・ハイメ=リオス。試合は13ラウンドに及ぶロングファイトの末、具志堅の勝利によってその決着を見た。ただ、残念なことにこれで話は終わらない。驚くべきことにまたしても金平氏がコックを買収して、ハイメ氏に毒入りのステーキを提供したとの疑惑があったと言うのだ。
(写真: 具志堅と戦うハイメ=リオス)
ハイメ=リオス疑惑に関してはそれが真実であるか否かについて明確な言及がなされず、真相は迷宮入りとなったが、具志堅の輝かしいキャリアに影を落としたのは言うまでもない。
無論、数々の堕落腐敗の様を露呈した金平氏もタダでは済まなかった。国会でも野党が正式な捜査を求めるなど、国全体を巻き込むこととなったこの事件を収束させるため、日本ボクシングコミッションは彼を「限りなくクロに近いグレー」としてライセンス無期限停止処分を決定した。
(写真: 引退を発表する具志堅と金平氏)
この毒入りオレンジ事件は、引退を望む具志堅を無理矢理に試合を続けさせた金平氏の搾取など、多くの日本ボクシング界の闇を洗い出した。鮮烈な功績を残した具志堅用高に魅了されたボクシング界と日本国民は彼と同等のスター性を持つ選手を渇望した。この事件の真相は定かではないが、根源にはそのような純粋かつ情熱に溢れた気持ちがあったに違いない。
だが、どこかでその純粋さが空回ってしまった。希望の光を得る手段を闇に求めてしまった。
オレンジの樹には花が咲く。その花言葉は皮肉にも「純粋・清廉」である。近年では奈良判定など、完全には闇が拭えぬボクシング界。純粋な環境で選手たちの熱い戦いを楽しめる時が来ることを祈るばかりだ。
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【本記事のランダムテーマ】
「毒入りオレンジ事件」という「不可抗力」な出来事によってキャリアを意図せず傷つけられた具志堅氏の記事でございました。ちなみに具志堅氏はこの事件に関して「そんな話は知らなかった。試合前のボクサーはそんな策をろうす余裕などない。」と語ったと言います。
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参考文献
- 記録: 『亀田に怒った具志堅用高の真意』, 2006年8月4日, http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/08/post_5e0e.html
- 週刊新潮: 『「具志堅用高」の栄光に傷をつけた「毒入りオレンジ事件」』, 2016年8月23日号 (別冊「輝ける20世紀」に掲載)