2021 蟹座の言葉 上野千鶴子┃痛みと弱さへ向き合うための闘い
心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は...
蟹座の言葉
上野千鶴子
1948年7月12富山県生まれ。太陽と水星を蟹座に持つ。
社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクショネットワーク理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。著書に「家父長制と資本制」「おひとりさまの老後」「女ぎらい」「ケアの社会学」など多数。
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20年にわたり愛弟子としてフロイトを支え続けたオーストリアの精神分析家オットー・ランクは、作家アナイス・ニンとの会話の中でこのようなことを語った。
占星術における太陽を表現する際、いつもこの言葉が頭をよぎる。女性が持つ太陽は男性と同じような働きをするのだろうか。それともオットー・ランクの言うように、または哲学者・ボーボワールが〈人は女に生まれるのではない、女になるのだ〉と言ったように、女は、いったんジェンダーとしての「社会的・文化的な女」を引き受け、そしてそのせいで神経をすり減らしてみないことには、健全な太陽活動を始められないのではないだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、蟹座の太陽表現についてあれこれ思いをめぐらせてみた。
太陽蟹座は芸術家の宝庫だ。シャガール、モディリアーニ、ドガ、クリムト、ジョルジュ・デ・キリコ、エドワード・ホッパー、アンドリュー・ワイエス、デヴィッド・ホックニー、東山魁夷、岸田劉生、横尾忠則などあげればキリがない。作家のサン=テグジュペリやマルセル・プルーストなどもそうか。彼らの描く世界は郷愁、ノスタルジーにあふれ、または個人的で特別な愛の世界――多くの場合、母的なるものへの憧れ――が描かれている。そうした表現は、男性の芸術家に限る。太陽・蟹座の女性の芸術家は一筋縄ではいかない。フリーダ・カーロやジョル・ジュサンドなど、堂々と女性権利拡張運動を主導し、型にはまらず、自由に愛や人生を謳歌している。そしておそらく、自己像を取り戻すため、「母なるもの」を破壊する作業が念入りに行われている。
上野千鶴子は言う。
もしかしたら、やはり女は母親から解放されるため、いったん自己を否定し、母親から与えられた像を打ち壊す必要があるのではないだろうか? 母親が背負っている社会からの解放、また「娘」という仮の役割からの解放を求め、蟹のはさみを使って、まるで自らへその緒を切るように、嫌悪を感じる存在――母、そしてわたし――を断ち切っていく必要「そんなふうに生きるわけにはいかない!」があるのではないか? それが、蟹座がMC=社会の反対側、IC=私的を担当している根拠、またその意味であるだろう。
そして、つまり蟹座に太陽を持つ女性は、いや女性全般が太陽活動をおこなうためには、多かれ少なかれこのような解体作業が必要なはずであり、蟹座が大きな声(または小さな声)で社会の違和感を叫び続けるのは、おそらく蟹座がもっとも純粋に generation to generation=脈々と続く普遍的な痛みを受け止める力があるからなのではないだろうか。
12サイン最初の水エレメントであり、また陰の極みである月を支配星に持つ蟹座が成長過程で覚える痛み――社会の中でのわたし/女としての違和感、または母/女の中にある「わたし」の弱さ、みじめさ、無力さ――とどう向き合うか、陰サイン・蟹座は、常にわたしの、または誰かの解決すべき弱さに対する敏感さと理解がテーマになっているのだろう。
彼女はこうも言っている。
個人が困難だと思って抱えている問題のほとんどは、社会関係のなかで生まれる問題なのだ。
2021年蟹座期、私たちは改めて個人的痛みに向き合ってみたい。
わたしが困難さを感じている問題とはどのようなものか。私をイラつかせている弱さとは何だろうか。蔑視したくなるほどの弱さを、どのような人の中に見いだすことができるだろうか。その弱さを「自己嫌悪」として自分で引き受け、受容し、自ら和解することができるだろうか。または、そのために自分はどんな闘いが必要になるだろうか。その先に、社会の中にはびこっている違和感、安心を脅かす異物の存在に対し、どのようなアクションを起こすことができるだろうか。
そして、蟹座期が終わるころ、私たちは自分と和解し、社会に向けて新しい一歩を踏むことができているだろうか。