極貧だった僕が今見ている景色
僕の父は定職についたことがない。祭りがあれば太鼓を叩いて僅かなお金をもらい、そんな父に嫌気をさした母は僕たちを捨てて出ていった。小学生の僕は藁でご飯を炊き、うさぎを育てたり卵からヒヨコに孵してはそれらを売って小遣いにしていた。
中学の卒業を待たずに住み込みの魚屋で働き、卒業式に出席するために休みもらったその日、東京にいる母親に卒業を知らせようと思い立ち母に会いに行った。
15の春だ。
母はもう魚屋に戻るな、東京で高校に行けと僕を帰さなかった。3月であったがそれでも入れる高校を探し、諦めていた高校に行けることになり大学にも進んだけど生きるのに必死だった。
母の再婚相手の潰れそうな小さな会社を引き継いだのは僕の望んだことでない。成り行きだ。30歳で18歳の相手と結婚し、47歳で離婚した。
貧乏が身に沁みついてお金を得ることだけを考え、あさましく生きてきた。
49歳で再婚したとき、お金に捉われるのはやめよう、あさましくでなく楽しく生きようと決めたら生活が少し楽になってきた。
母の介護で家を建て替えたときに暖炉をつくった。
貧しくボロボロの親戚の家に住んでいた僕は、「家」に対する執着が強いのかもしれない。
別荘は手放した。
手放したら次がはじまった。
15歳の僕はお金がないから、高校に行くということは考えず魚屋さんで働き料理人になろうと思っていた。76歳の今の僕は義父の会社を大きくして売却し、会長という立場にいる。61年かかった。
これで終わりではない。
まだ次がある。僕の未来はまだひらけている。