まわれ かざぐるま
風車が、飛んできた。それは悪代官にでなくわたしにだ。音が大きい、うるさいと言ってしまったから。
昭和の時代劇は、ここぞというときに大音量になる。テレビの問題じゃない、弥七が悪いわけでもない。76歳の夫の耳が悪い。わたしの心根が悪い。
18時30分からのBS『水戸黄門』を観ながら、お酒を飲むのが楽しみな夫。耳が遠くなり、テレビの音が近くで聞こえるお手元スピーカーを購入したけど音が割れる、という理由で使わず音を大きくしている。
夫がいらだちの風車をとばす。怒りっぽくなるのは年をとった、ということだという。
『水戸黄門』の勧善懲悪の悪はわかりやすい。
現代の悪って、わかりにくい。誰が決めるのだろう。弥七のように風車を投げつける相手は誰なんだろう。風車って正義?苛立ち?寂しさ?不安?
「会社では大丈夫、聴こえる。かなこの声だけ聴こえない。」
「僕、どうしたらいいんだろ」
意欲、気持ちが萎えている。
体力も衰えている。
トライアスロンレースも積極的でない。
これが年をとるということだろうか。
結婚して30年近く、自分の部屋を持ったことがなかった。血圧の高い夫が倒れたときすぐに気がつくように、一緒の部屋で過ごした。
引っ越しをして、新しい家では自分の部屋をつくってしまった。テレビの音が聞こえない部屋。本を読む部屋。
わたしの風車は、ジコチューだ。
御隠居さまの風車は、憎らしいほどの高笑いだ。
笑っていたい。
一緒に笑っていたい。
笑う風車でいたい。
わたしの風車は弥七でなく、千春だ。
恋心がとまらない。まわっている。
まわれ かざぐるま
こちらの企画に参加します。
人とのつながりを大切になさっているコジさんは、毎週出されるいくつかのお題にチャレンジし楽しまれています。
いつかやってみたいな、と思ってて。
自分のネガティブな感情を描くのは苦手なのだけど、お題にかこつけて直面している老いということを書きました。
よろしくお願いいたします。